自ら育てた作物を収穫する際の抵抗感|今日のダイジェスト版

昨日はおかしな夢を見ることもなく、また、そこそこ早くに目を覚ますことが出来ました。

 

畑に植えた葉物野菜が大きくなってきたので、最近は野菜が必要になったら畑まで行って、必要な量だけ収穫することが出来るようになりました。

食べ物に関しては何かと鮮度が大事にされますが、庭の野菜を収穫し、さっと水洗いしただけで直ぐに食べるというのは、畑に生えている野菜をそのまま齧るのとほぼ変わりがないくらい新鮮だと思います。

そんな採れたて野菜は美味しいと思うのですが、これまでずっとスーパーに並ぶ野菜しか食べてこなかった僕としては、なんだかまだ慣れることが出来ません。

 

食べて美味しいと感じるのは、結局は脳です。

「新鮮=美味しい」という式が一般に浸透している為か、特別に新鮮な物を食べる場合は、舌ではなく脳の方で、(おそらく)食べる前から「美味しい」に違いないと、半ば決められているのかもしれません。

自分で作った野菜を収穫して直ぐに食べたとき、これは確かに贅沢なことなのですが、「収穫=命を奪う」という式が頭の中にあると、脳が僅かに抵抗してしまうのだと思います。

うまく整理が出来ていないのですが、例えば生きたどじょうと豆腐を一緒に鍋に入れて煮るどじょう豆腐(地獄鍋)や、活き造りや踊り食いなど、日本には他国から目を背けられてしまうような食文化が残っています。

あまりに新鮮なものは、生き物の生と死がすぐ際にあるということで、自分で野菜を育て、自分自らが収穫するということは、どうしたってこの生死に接することになります。

他人にどう思われるか、そんなことに過度に気を使いたくはありませんが、さすがに畑の野菜くらいは抵抗なく収穫出来るようになりたいと思います。

大事に育てる観賞用の植物と、庭や畑を乱す雑草とを区別するように、畑の野菜は食べる為に育てているものなので、その辺りを割り切らなくてはならないのだと思います。

 

雑草を抜いています。

これがオオバコだとしたら食べることも出来るので、こうなるとまた面倒な問題が発生してしまいそうですね。

 

イチゴと山椒の実を収穫しました。

実った果実や実を収穫するだけなら命を奪うことにはならないので、まだ抵抗は少ないかもしれません。

この考え方はビーガンに通ずるような気がしますが、既存の型にはめて自分の行動を制約するのは窮屈なので、(人に迷惑をかけない程度に)自分の好きなようにやっていこうと思います。

 

今回は枝まで綺麗に取り除きました。

※意外に大変な作業です。

 

水に浸しています。

前回とは違うレシピを試してみたいです。



 

[今日のダイジェスト]

お蚕さんの部屋で見つけた謎の木箱

石鹸で洗って干したら、使うことがあるまで保管しておきます。

 

ペーパーログ改の試作をしています。

 

最近使っていなかった為に掃除を疎かにしていた煙突の内部です。

 

煙突の、野外に出ている部分を取り外した拍子にこぼれ落ちた煤。

 

地面にワンバウンドしただけでこぼれ落ちた煤。

かなり詰まっていたことが分かります。

 

今日も風呂小屋建設を進めました。

測って、切って、洗って、加工して、、という感じです。

 

自力で洗濯をするようになっています。

アルミス(脱水機)付属のバケツを使っていますが、右に見えるカゴに洗濯済みの衣類をいれ、体重をかけて水切りしても、アルミスを使えば優に2杯以上の水が排出されます。

必要とする人は限られるような気がしますが、これは優れものだと思っています。

 

 

おしまい。



「自ら育てた作物を収穫する際の抵抗感|今日のダイジェスト版」への2件のフィードバック

    1. そうですね。

      ベジタリアン界隈の本だかブログで、「Better than nothing」という言葉を目にしたことがあります。

      考えれば考える程、難しい問題ですね。

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