定価の無い世界|骨董祭の「抜いた」「抜かれた」

前日の搬入日含め、4日間の骨董祭(師匠のお手伝い)を終えてきました。

大変なこともありましたが、最終的にはバイト代の大半を、木の看板やボロ布、石の猿などに変えてしまうほど、楽しむことが出来ました。

これだけの文章で終えてしまうとただのクレイジー(浪費家)ですが、僕は古道具屋を志しているので、骨董祭で買ってきたものは、しばらく愛でた後は売るつもりでいます。

心配なのは、売れる売れないということ以上に、僕の執着心が勝り、買ってきたものを売りたくなくなってしまうことです。

たくさんのお金と、いくらでも物を飾っておけるスペースの両方を持ち合わせた人であれば良いのですが、御存知の通り僕は貧乏だし、住まいも狭小という二重苦を抱えているのです。

現在ブログを書いている視界の隅には、買ってきたばかりの(非常に愛くるしい)5体の石猿が見えていますが、仕方ないので、2~3体は近々手放します…。




おまけ

 

骨董祭のお昼時、師匠にお金をもらってご飯を買いに行きました。

※骨董祭が行われている建物の外では、たくさんの屋台が出ています。

 

3人分のお昼を頼まれ、4000円を預かったのですが、最初に500円のクレープを3人分、次に師匠のリクエストの川魚(500円)を買った時点で、手持ちが半分になっていました…。

仕方ないので、500円のたこ焼きは1つだけにして、図々しくも割り箸を3本貰いました。

こういうのを、ファインプレーだとか、機転がきくというのかな?と思ったのも束の間、手のひらの中には、あと1500円しかありませんでした。

このままでは昼ごはんの買い出しもロクに出来ない残念な弟子になってしまうと思ったので、最寄りのローソンまで歩き、おにぎりや飲み物を買いました。

お釣りはほとんど残りませんでしたが、頑張ったと思います。

 

しかし次の日の昼ころ、師匠がぼそっと、「もっとご飯っぽいものが食べたいな…。」とひとりごちたのを聞き、先日の自分のミスに気が付きました。

※次の日は屋台のうどんを、最終日はカフェのお持ち帰りカレーにしました。

 

最寄りのローソンまで歩いたので、この日の歩数は急増しました。

 

ベビータビーズ(300円)

※サイズ感やベロアな感じが面白かったのですが、まわりに小物があるせいで伝わりづらい写真となってしまいました…。

 

ひょんなことから、(5分くらい)アンティークジュエリーの店番を任されました。

横に長いお店だったので、お客さんがたくさんくると全てに対応することが難しくなりました。

僕が店番をしている間に何かあっては大変なので、師匠のお店の店番をする以上に気を張りました。

※耳を疑う話なのですが、骨董祭は泥棒が多いのだそうです。

 

ここのお店のオーナーは、この大変な仕事をずっと一人でやって来たのかと感心しました。

 

最後は、出店者の利点を活かし、欲しい物を格安で手に入れることが出来たという話です。

僕はこの木箱に入った昔の木製カルタ&積み木が欲しいと思ったので、ちょっと離れた他のお店で購入してきました。

自分のお店に持ち帰り、中身のカルタなどを出して空になった(不要になった)木箱を店頭に並べてみると、ものの数分で買い手が付きました。

 

カルタを売ってくれた店主いわく、この木箱の金具だけでも僕が支払った金額の価値があるというので思いついた技なのですが、それが今回は上手くいきました。

 

(今回のケースとは違いますが、)ちなみに、人のお店で買ってきたものを自分のお店や何らかの方法で(高く)売り、その利ざやを得ることを「抜く」といいます。

僕の師匠は目利きなので、ちょっと目を離すとすぐにどこかでこの「抜き」を働いてきます。

『うわ、、また抜いてきたよ…』と思いつつも、僕もいつか同じ様に「抜ける」チャンスが巡ってくるかもしれないと考えてしまうので、師匠の技をよく見ておくようにしています。

※言わずもがなですが、目論見が外れ、「抜けない」こともあります。

 

わずか1年半の経験しかありませんが、僕たちは互いのお店から「抜いたり」「抜かれたり」しながら成長していくのだと思います。

 

骨董祭は、まるで定価の無い国です。

 

 

この世界で頼りになるのは、自分の感性しかないのです。

※ちなみに僕が師匠からいわれたのは、「最後はセンスだよ。」という言葉です。そのまま書いたのでは情けないので、意味はそのまま、ちょっとだけ書き方を変えてみました。

 

おしまい。



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