隣町の図書館にある学習室には部活帰りと思われる少年少女のジャージ姿が並んでいた。カウンターへ向かうまでの大きな窓からは駅前の満開に咲いた桜の姿が目に入る。
託児所のような一室では、30代くらいの女性が幼児を持ち上げ股間の匂いを嗅いでいた。とても真似出来ないと思う。
カウンターで学習室の利用カードとLANケーブルを借りて、自分のパソコンでインターネットに接続する。
家でやるインターネットとは違って、これだけの速さでレスポンスがあるならストレスは殆ど感じないのではないかと思う。一日にこなせる仕事量で考えれば、これは雲泥の差になるだろう。
僕にはあまり関係がないけれど。
新世紀を迎えた年くらいから変わらずホームの画面はyahooだ。一度Googleにしたこともあったけど、直ぐにyahooに戻した。
yahooのトピックには、「ビックカメラ、店舗でビットコイン決済を試験導入–有楽町と新宿で|CNET Japan」とあった。
どのくらい前だろうか、
「ビットコインが儲かるからやってみれば?」
親切な人がそんなことを教えてくれた。
僕はビットコインのことを投機としかみることが出来ないのだけど、過去に投機で痛い目に遭ったことがあるし、何かを買ったり売ったりしている間は兎に角気になってしまって、一日になんども相場を覗きに行ってしまった。
つまり僕はお金に夢中になり過ぎてしまうのだ。
それでもビットコインが儲かりそうだと教えてもらった時点での相場だけは記憶しておいて、もしもこの時買っていればどうなっていただろうかと、そんな未練がましいことをしていた。
ビットコインを買っても買わなくても、僕がお金に執着する俗物であることには変わりがない。
当時のレートは99円とちょとだったので、分かり易く「100円」と覚えておいた。
2017.4.5、14:00現在のレートは大体「128円」になっていた。
※[修正]2017.12.2:桁を間違えていました。全て✕1000円です。(正しくは、99000円、100000円、128000円です。) ※2017.12.2現在、ビットコインは1239385円と、8ヶ月で約10倍になっています。
たった数ヶ月しか経っていないのに、ものすごい上がり方をしていると思った。
でも冷静になって考えれば、たかだか1.28倍でしかない。
僕が1億円くらい投機に回せるお金があればこれは凄い金額になるし、仮に100万円であっても、1,2ヶ月は平均的な生活を送ることが出来るだろうと思う。
ただ、これは毎月1.28倍で儲かり続けることが前提で、投機の世界ではそんな夢物語は存在しない。税金もあるし。
また、投機は余剰金でやらなくてはならない。
僕が捻出出来る余剰金を考えれば、仮に10倍20倍になったところで、毎日レート変動が気になる呪いに掛かることを考えれば、とてもビットコインが欲しいとは思えない。
過去に投機で失敗した時は絶望したけど、あの時の失敗はこんな形で生きることもあるのか。
ただ、あの時失ったお金が戻ってくれば今の暮らしを一気に…なんてことを考えてしまうので、やっぱり完全には克服出来ていないのだと思う。
ビットコインなんて不確かなものに一喜一憂したくない。ひと記事書けば確実に“数百円”は儲かるブログを書いたほうがマシだと思う… いやどうだろう、数百円の為に書くならベッドでごろごろしていた方がマシかもしれない。
[ここからは蛇足]
みなさんはお面を被った馬をみたことがあるだろうか?
近くに越してきた人が馬を飼っていて、その馬たちは外にだしてもらう時には必ずお面を被らされる。何でそんなことをするのかと気になって調べたことがあった。
馬は左右の目でそれぞれ別のものを見ることが出来るようで、これを『単眼視』というらしい。
350度もある視野は良いことばかりではないようで、見え過ぎるということは色々なことに気が付き、集中出来なくなることでもあるという。
場面によっては敢えて長所である筈の視野の広さを殺し、集中力を高めたり、恐怖心を抑えたりする必要があるのだろう。
現代のインターネット社会は、人によっては情報過多となる場合もあると思う。
どんな人と付き合うか、どんな情報を取り入れるかというのは、未来の自分を形成することに直結するのだから、場合によっては敢えて入ってくる情報を遮断するということを考え出しても良い時代なのかもしれない。
・食材:2331円
・猫:1973円【図書館】
[就寝時間:3:30]-[起床時間:11:00](4/4)