いえ、ただの従業員です

消し炭をいつものシンクホール(空き地に開けた大穴)に投げ入れていたところ、隣の田んぼの持ち主がトラクターを唸らせ迫ってきました。

運転席からイノシシみたいなオジさんが飛び出してきました。

 

イノシシ「あんたここの持ち主か!?」

テロル「いえ、あそこの宿泊施設のものです」

イノシシ「あんたが責任者!?何度も言ってんだけどさ、ここの草刈りちゃんとやってよ!」

テロル「いえ、ただの従業員です」

 

僕が責任者ではなかったからなのか、のれんに腕押しスタイルの対応をした為か、次第にイノシシはトーンダウンしていきました。

テロル「今聞いたことは僕からしっかりと責任者に伝えておきますから…」

そう言い残し、僕はその場を離れました。

 

昨日は「雇い主と従業員の関係」に苦しんでいましたが、こんなときは責任のない従業員は楽だと思います。

 

昨日、お客さんの大半が入れ替わりましたが、人は変われど直ぐに子供たちによる連合軍は出来上がります。

昨日までの連合軍は、悪さをすることによるスリルを楽しむタイプでしたが、今日からの連合軍はスポーツマンタイプでした。

驚くことに彼らは、僕の拘束時間中ずっとドッジボールをしていました。延々と敵チームに柔らかいボールを投げつけたり、飛んできたボールをキャッチしたりエラーしたり、遠くに飛んでいってしまったボールを追いかけたりしていました。

彼らの無限のスタミナに触れると、昨日今日と昼休みに車で眠ってしまった自分の体力の無さを悲しく思います。時間は逆転しないので、これは絶望出来るくらいに淋しいことです。

朝から晩までドッジボールが出来る体力が欲しいと思った僕は、折を見て彼らを観察しました。

結果、先ずは身体を軽くしてみようと思いました。

ちなみに、仕事を終えてシャワーを浴び、さて帰ろうと思った時、子供連合軍はレンタルした自転車を立ち漕ぎして何処かへ消えていきました。

彼らの乗っていった自転車は僕が整備したものです。

アルバイトをしている限り、僕はいつまでも縁の下の力持ちポジションを脱することは出来ないのだと思いました。

子供の父親になるということは、毎日のように諦めにも似た悟りを重ねていくのだろうかと想像してみました。

 

明日働いたらしばらくは休みが続きます。

やっぱり雇われて働くということは、色々な意味でキツいと実感しています。

十代の頃に初めて、将来どうやって生きていこうか真剣に考え出しました。紆余曲折を経て僕は安定を求めることにしました。安定さえしていれば職種は何でも良いとまで考えました。

余暇の時間の自分こそが本当の自分なのだと、そんな二重生活のようなことが簡単に出来ると甘く考えていたのです。

それほど僕は器用ではないこと、仕事はそう甘くはないことなど、過去の自分に伝えることが出来たらいいのにと思います。

自分のやりたいことは他にあるのに、他人のためにヘトヘトになるまで働くことは悲しいことだと思っています。この考えは「甘え」でしょうか?それとも「自業自得」なのでしょうか?

今よりもっと大人になった未来の僕が夢の中に出てきて諭すとすれば、それはどんなことなのだろうか?

願わくば、今の僕では想像もつかないようなことを言ってくれたらいいなと思います。







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