逆マトリョーシカ

仕事が始まってしまったので、ブログネタに困ります。

仕事をしている最中は、基本目の前の仕事のことや、それに関係したことしか考えないからです。仕事に関係したこととは、昼休憩や3時休憩、就業時間まであとどれくらいだろうか、ということです。

今日は一日中掃除をしていました。

居室の掃除だったり、取り外したアルミサッシや日よけタープを洗ったりといった仕事内容でしたが、高圧洗浄機やブラシを持って目の前の汚れを落としていると、本当に汚れを落とすことだけしか考えられず、きっとこのような状態のことを「ハマっている」というのだと思います。

誰かに呼ばれた時、ぱっと夢から覚めるような感覚があるので、「ハマっている」最中は、案外脳みそは休んでいるのかもしれません。

汚れを落とすような単純作業は気楽ですが、これは誰にでも出来る仕事でもあります。

もう少し後の時代に生まれていれば、きっとロボットが人間の代わりにやっているような仕事なのだと思います。

人を選ばない仕事はどんどんロボットに譲るべきだと思います。

ロボットの技術革新が進めば、多くの人間は雇われ仕事から開放されるのだから、僕としては単純に嬉しいと思うし、早くそんな時代になればいいなと思います。

 

お金を得る手段をみんなが考えていた時代があったと、未来人が笑っている姿を想像してみました。

僕らが前時代の人間のことを「野蛮」だと思うのと同じで、きっと未来の人類も、今の僕らのことを「野蛮」な連中だと想像することでしょう。

いま常識だと信じていることも、ものの数十年で簡単にひっくり返ることを思えば、「こうあるべき」といった凝り固まった思想は、未来人からみればきっと「野蛮」な考えなのでしょう。

ただ、今僕が想像している未来人は、せいぜい数百年後の未来人までが限界です。少なくとも太陽の寿命が続く限りは、きっと更に成熟した未来人が現れるはずです。文化の成熟度が右肩上がりに上がっていくとするならば、これはまるで「逆マトリョーシカ」です。

「未来人」を想像するということは、こうしているいまも限りなく膨張していく「宇宙」のことを想像している時と似ていますね。

端的に言えば、きりがないのです。

 

僕は何故こんなことを考えていたのでしょうか。

現代社会では、必要なお金は稼がなくてはなりません。それは理解出来ますが、そうはいっても、決められた時間に起きたり誰かに仕事を指示されたりすることはやっぱり辛いのです。

辛いと思ったら、改善しようと頭を働かすのが普通だと思います。

ですが、いつしか僕らは「我慢する」ことが当たり前になりました。

これは「自然」なことなのでしょうか?

 

「終業時間まであと何時間だろう?」

「週末まであと何日だろう?」

「正月休みまであと何ヶ月だろう?」

「定年退職まであと何年だろう?」

「死ぬまであとどのくらいだろう?」

 

足掻いたり戦ったりするよりも、目を逸らしたり逃げたり我慢するようになったのはいつからでしょうか?

僕は小学生の中学年あたりから徐々にそのような思考に偏っていったような気がします。

今日はゆっくりと、そしてぐっすりと眠りたいと思います。

寝て起きれば色々と忘れて元気になります。

 







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