昨日は東京の取り壊しが決定しているお宅の建具(窓)を貰いに行きました。
前回の日記:東京視察とジョイフル本田|WAKOS ワコーズ 添加剤 F-1 フューエルワン
全てが終わって小屋に戻って来た時にはヘロヘロに疲れていたので、風呂に入った後はブログも書けずに眠ってしまいました。
今日はいつもの倍くらい眠ってしまったし、預かっていた家の鍵の返却に行った流れでお昼をご馳走になりそのままお酒までいただくことになり、、そんな感じで一日が終わりました。
今日の日記は昨日のことです。
昨日は東京の取り壊しが決定しているお宅の建具(窓)を貰いに行きました。
前回の日記:東京視察とジョイフル本田|WAKOS ワコーズ 添加剤 F-1 フューエルワン
全てが終わって小屋に戻って来た時にはヘロヘロに疲れていたので、風呂に入った後はブログも書けずに眠ってしまいました。
今日はいつもの倍くらい眠ってしまったし、預かっていた家の鍵の返却に行った流れでお昼をご馳走になりそのままお酒までいただくことになり、、そんな感じで一日が終わりました。
今日の日記は昨日のことです。
昨日は新年会ということで、日付が変わるくらいまでお酒を飲んでいたので日記を書くことが出来ませんでした。
これを毎日のように繰り返すと、”酒に溺れた人”という烙印がおされてしまうのかもしれません。
今日の日記は、日付を遡り昨日のことを中心に書いていきます。
小屋の中ではどうしたって圏外の携帯電話があったのですが、なんと機種変をしたらどこに持っていってもアンテナは3本(MAX)になりました。
しかしこの携帯電話のお陰で朝起こされてしまうことがしばしば起こるようになりました。
今日も早朝(9時半くらい)に電話が鳴り、目が覚めてしまいました。
新年会の日取りが変更になったという内容だったのですが、態々音声通話で教えてくれなくてもいいような気がしてしまいました。
目を覚まし最初に発した言葉は、「ひどい…」でした。
これまでにも強風に怯える夜というのは数え切れないほど経験してきましたが、夜が明けて恐る恐る庭に出てみると、いつもは決まって大した被害もなく、ほっと胸をなでおろすことが通例となっていました。
しかし今日は様子が違いました。
隣接する農作業小屋との境に作った、4つに分けられた薪棚全てが、昨日の強風によってなぎ倒され、中に入っていた薪の殆どが崖下に落ちていたのです。
底面は4つに分割していますが、柱を共用にしていたり、天井で全てを繋げていたりしたので、どれか一つでも倒れたら連帯責任のように全ての薪棚が倒れてしまう作りだったのです。
ブログをやっていると見えてくるものがあります。
例えば、一週間で最もPVが落ち込む曜日は[金曜日]です。
視野を一年間にまで広げてみますと、最もPVが落ち込む期間は[年末年始]となります。
これは毎年のことなのですが、それだったら気合の入った記事は作らず、年末年始くらいはブログを休もうかとも思ったのですが、12月に5日+1日休んだこともあって、なんとなく更新を続けてしまいました。
ブログを書く書かないに関わらず、頻繁にiPhoneで写真を撮るということ自体が習慣化されていて、その撮った写真をみていると、せっかくだからとブログを書いてしまいます。
見ず知らずの誰かに追われているところを、また別の見ず知らずの誰かに匿われたのですが、その匿ってもらったマンションの一室は、僕にとっては窮屈な場所で鬱憤が溜まっていくという夢。
これはどう頑張っても富士、鷹、なすびに関連付けることが出来ませんでした。
大晦日くらいはとことん夜更かしをしてやろうと思うも、やっぱり次の日のことを考えると止めておいたほうが賢明だろうとプラン変更してしまう辺りが、歳をとったということなのだと思います。
“写真多めで振り返る[2018]元旦|「Quugle」で作るブリ大根” の続きを読む
大晦日、元旦くらいは仕事をせずにゆっくりしたいと思いますが、実際にそうして良いのは、備えのある人だけです。
ちょうど飲水がなかったので、車に乗って湧き水を汲みに行きました。
ぼーっとしていて、水タンクの一部を小屋の入り口の丸太の上に置き忘れてしまいました。
こんな失敗はこれまでに一度だってなかったのですが、なんとなくですが、これを新年の一発目にやってしまうよりは、大晦日のうちにやっておいて良かったような気がします。
げん担ぎのようなものですが…。
もうだいぶ前から部屋の掃除をしたいと思ってはいたのですが、どうせ年の暮れに大掃除をするのだからと先延ばしにして来ました。
今日はその大掃除の日になりました。
掃除をしながらも、面倒くさがって放置していた宛名用紙をカッターとハサミで切り分けたり、片付けがてら断捨離を決行したり、敷物のホコリを落として外に干したり、、というようなことを今日はしていました。
孟子の性善説、荀子の性悪説とがありますが、どちらにしても人間には善と悪の両面が内在しています。
その時の気分や、後々の影響を考え、身の振り方を決めているのだと思いますが、もし仮に自分にだけ、全ての人間を屈服させてしまうような強大な力が手に入ったとしたら、人はどのようになってしまうのでしょうか?
例えばスーパーカーを手に入れたとしたら、意気揚々と夜のハイウェイを走りたくなるだろうし、仮に若くして富と名声を手に入れたとすれば、臆することなく同窓会にだって出席出来たはずです。
今日で仕事納めだったという人が多いのではないかと思いますが、僕がよく行くところだと、仕事納めだったのは郵便局だけでした。
ホームセンターもスーパーも、こんな田舎だというのによく働くなと思います。
バリエーションに富んだインスタントコーヒーの詰め合わせを貰ったので、毎朝ひと種類ずつ飲んでいます。
今のところ左3つを飲み終わったのですが、特に「ホテル&レストランブレンド」が美味しかったです。
この豆が欲しい時は、「ホテル&レストランブレンド」下さいと言えば通じるのでしょうか…?
苦労せず朝型生活を手に入れている人がいるというのに、僕にはそれが至難の業の様に感じます。
単発的に早起きをしても、次の日にはまた夜型になってしまうことが常である僕とでは、一体何が違うのだろうかと不思議に思います。
睡眠時間は概ね6時間~7時間なので、逆算をしてみると、僕は夜更かしが止められないということが分かります。
翌日に早起きしなくてはならない予定がない限りは、うとうととしてくるまで寝ようとは思えないという傾向にあるのですが、眠気が来ていないというのに目をつぶって寝ようとすることは、なんだか不健康な気がします。
実際のところは分かりませんが…。
お歳暮ではありませんが、年の暮れになるとお餅やあんこなどをいただくことがあります。
毎回は出来ませんが、たまにはお返しでもしておこうと思い、9月に瓶詰めした渋皮煮や、無農薬の柚子を贈ることにしたのですが、これだけではいまいちかなと思い直しました。
この地でしか手に入らないものはなんだろうと考え、今日は北杜市の地酒を買いに行くことにしました。
出来るだけ部屋をシンプルにしておきたいと思うのは、きっと煩雑な部屋の中にいると頭の中まで忙しくなっていくような気がするからだと思います。
意識しなくても、視野に入るものが多ければそれだけ脳を使うということなのかもしれません。
因果なもので、それでも人間というものは、使うことはないけれど、飾っておきたいという欲があり、そんなものにもお金を使います。
昨晩の雨と強風により庭に出してあるものが飛んだり落ちたり倒れたりして大変でした。
夜中に薪風呂建設地の養生をやり直したり、飛ばされたタープを拾いに行ったりと、こんな時は「大変だな…」と思います。
新しい小屋や風呂トイレ小屋を建て終えるまでは我慢しますが、庭に出してある大型の工具や建材などは、思い切って処分したくなります。
日帰りで東京へ行ってきた日の夜は、いつもより2時間も早くに眠ってしまいました。
うまく出来たもので、次の日はいつもより2時間も早くに目が覚めました。
早朝(9時くらい)の清々しい空気、日差しは心地よく、「よし!野鳥に餌をあげよう」という優しい気持ちが湧き上がってきました。
昨日は、来年早々に取り壊しが決定しているあるお宅まで、何か貰えそうなものがないか下見に行ってきました。
そのお宅は東京にあるので、早起きをして下道を使ったとしてもガソリン代はかかるし、実際に窓ガラスなどを何枚も貰ってくるとしたら、その時はトラックのような車をレンタルしなくてはなりません。
それらにかかる費用のこともしっかりと計算に入れたうえで見てきたのですが、結果的には、来年になったら大きな車をレンタルして再度東京のそのお宅まで行ってくることに決めました。
昨日から始めた内職は、結局最後まで終えることは出来なかったのですが、納品は今日の夕方に決まりました。
最後まで終わらなくとも、宝石をなくしたり宛名を貼り間違えたりという致命的なミスをすることもなく、自分の中では指示通りにこなすことが出来たと思っています。
しかし僕には、納品に行く前に必ずやっておかなくてはならないことがありました。
僕には驚くほど関係がないのですが、世間はクリスマス、仕事納め、大晦日、正月と、師走モードに入っているようです。
近所の別荘に住むジュエリーデザイナーは、「Merry Christmas and Happy New Year 2018」というメッセージカードと共に、高価なジュエリーを同封し、これを数百人の顧客に贈ることを予定していました。
しかしその準備が未だ手付かずだったのです。
自分が書いた文章を読んでもらい、直接ないし間接的に何かしらのリアクションを得るという一連の流れに没頭(依存?)していました。
書きたくて堪らないという時期を経て、最近は自分の書きたいことを書くことが出来ているだろうかと振り返ったり、人の目を過度に気にし過ぎ、当たり障りのないツマラナイ文章ばかりを書いてはいないだろうかと心配をしたりしていました。
それでも書くことを辞めたいと思ったことはなく、それは書くことを辞めてしまったら空洞の自分を直視せざるを得ないと恐怖していたからです。
何者でもない人間にとっては、こんなブログでもアイデンティティを喪失しない為には必要なものだったのです。
先日書いた花柄の石について、新たな情報をいただきました。(ありがとうございます。)
花柄の石が2つになったので、お便りを下さった方に片方をお譲りしたのですが、その方がこの石についての有力な情報を探し当ててくれました。
まずは「甲州鬼瓦」と検索するようです。