衣食住という「基本」が無ければ辛い、というか生命を維持することが出来ません。
逆をいえば、衣食住だけでも確保出来れば、とりあえず僕らは生きていくことが可能なのです。
次に出てくるのは、「電気」「ガス」「水道」というインフラですが、日本では揃っていることが常識となっています。
僕もそんな日本で生まれ育っているので、どうしても「電気」「ガス」「水道」を手放すことが出来ません。
from Tiny House Periodicals – 30代で早期退職した小屋暮らしの日記(仮)
衣食住という「基本」が無ければ辛い、というか生命を維持することが出来ません。
逆をいえば、衣食住だけでも確保出来れば、とりあえず僕らは生きていくことが可能なのです。
次に出てくるのは、「電気」「ガス」「水道」というインフラですが、日本では揃っていることが常識となっています。
僕もそんな日本で生まれ育っているので、どうしても「電気」「ガス」「水道」を手放すことが出来ません。
“目の上のたんこぶ 邪魔なもの、うっとおしいものなどを意味する表現。 目の上にこぶができるととりわけ邪魔であることから作られたことわざ。 「目の上の瘤」とも言う。目の上のたんこぶ- weblio ”
我が家の地目は「山林」です。
木がたくさん生えているのはもちろん、切り倒した後にも「切り株」は残るので、特に軽トラなどで敷地内を走る際は、木々や切り株を避けながら走らなくてはならず、それが少し不満でした。
夏のフリーマーケットで、お客さんとして来てくれた古道具屋の先輩(以下Tさん)のお店に行ってきました。
知り合う前に一度、僕はお客さんとしてTさんのお店で買物をしたことがあったのですが、その際に買った「包装紙」がとても便利だったという話をしたら、また新らたに仕入れたよと教えてくれました。
ちなみに、今でも我が家で使っている家庭用焼却炉は、かつてTさんのお店で買ったものです。
昔の記事を振り返ってみて分かったのですが、Tさんのお店に行ったのは、もう4年も前のことでした。
『そんなに経つのか…。』と驚いたのですが、しかしその数年後には自分自身も古道具屋になっているのだから、この「変化」も「驚き」だと思いました。
目覚まし時計の凶悪ノイズで叩き起こされることもなく、今日も穏やかな気持で目を覚ますことが出来ました。
この奇跡を当たり前のことにはしたくなかったので、僕はいつしか目覚めの瞬間に幸せを噛みしめるようになっていました。
お金は無いけれど、眠れない夜に怯えたり、ストレスフルの目覚めだったり、満員電車でみくちゃにされたり、嫌いな上司にも気を遣わなくてはならなかったり、自分の将来が見えてしまった気がして落ち込んでしまったりすることもなくなったので、僕はこれだけでも十分に幸せだと感じてしまうのです。
これまでの生活がキツかった反動で、今の生活を幸せだと錯覚してしまっているだけなのかもしれませんが、不確かな中で唯一信じるに値するのは、自分の本音、つまり僕がどう感じているかということだと思うので、それでいえば僕は、やっぱり幸せを掴み取っていることになるのかもしれません。
後はこの幸せをいかに繋ぎ止めておけるかということになりますが、分かりませんが、案外これこそが難しいのかもしれません。
僕が東京で働いていたとき、忙しくしていたのは「お金」の為でした。
お金を稼ぐために、それこそ命を削って働いたのだと思います。
そして現在は、田舎で、かつ電気、水道などのインフラの整わない小屋暮らしを送っているので、ベーシックな生活をおくるだけでも、そこそこ忙しく働かなくてはならなくなりました。
環境を変えたことで僕の生活は大きく変わりましたが、特に去年の春、思い切って雇われ仕事を辞めてからは、「日々の労働を苦に思わなくなった」というミラクルな変化が訪れました。
「お金」の為の労働も「ベーシックな生活」の為の労働も、働いているときにそのことを意識することはありません。
悪く言えば「ON、OFF」の切り替えが出来ていないということになりますが、それであれば僕は基本的に「OFF」のつもりで働いています。
僕は長らく「勤労」や「忍耐」は「美徳」だと信じてきました。
品行方正であること、働き者であること、そして誰にも迷惑を掛けないこと。
今ではそんな思考だった自分を恥ずかしく思うし、苦しい日々から抜け出せなかったのは当然だったと思います。
先日、板チョコと生クリームを使った、「チョコレートムース」を作りました。
非常に簡単だったので、作り方を残しておこうと思います。
板チョコ:100g
生クリーム:200cc
「東京蚤の市」という、古道具が中心のイベントに行ってきました。
僕は2012年に、京王閣という競輪場で開催されていた頃から通っていますが、移住してからはあまり寄り付かなくなっていました。
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時は流れ、「東京蚤の市」の開催規模は大きく膨らみました。
古道具のイベントで入場料を取ること自体が珍しかったというのに、最初は300円くらいだったものが、回数を重ねるごとに500円、700円と値を上げていき、そして今回の第16回開催は、なんと1000円になったようです…。
一つのブログ記事を書くのに、一体どのくらいの時間が掛かるのでしょうか。
前々回の日記の冒頭に、書き始めの時間を書いたことを思い出したので、これを参考にしてみました。
関連記事:イオンが類似品で仕掛けた!?キットカットの深い闇|魚版チャーシューを作ろう|カルディの「龍蝦片」
※前々回の記事を書き始めたには、「21:15」でした。
先月と今月は、静岡県で仕事がありました。
せっかく遠くまで行くので、ついでに行っておきたいところがないか調べたところ、「静岡市立芹沢銈介美術館」が見つかりました。
古道具屋修行の一環として、ちょっとのぞいてみようと思います。
明日は久しぶりに早起きをしなくてはならないので、日記は手短に終えたいと思っています。
現在の時間が「21:15」ですから、今日だけはせめて1時間から1時間30分くらい(※遅くとも「22:45」くらいまで)に書き上げたいと思っています。
忙しかった10月の反動から、11月は自堕落な日々を過ごしています。
『11月に入れば、眠りたい時に眠りたいだけ眠ることが出来るぞ!』と意気込んでいたのですが、3日もすると飽きてしまい、次第に虚脱感に襲われるようになりました。
最終的には何をするにも億劫に感じられるようになってきたのですが、幸いなことに?僕の生活は、水を汲んできたり薪を割ったり、ソーラーパネルの電力にも気を遣わなくてはならなかったりと、実のところ『億劫だから寝ていよう…』という訳にもいかないようです。
自分では特に建設的なことなど何一つやっていないつもりですが、それでも撮った写真を振り返ってみると、何かしらやっているものです。
今回もそんな写真を頼りに日記を書いていきます。
( )は、先月の数値です。
・水汲み(飲料用)3回(3回 )
・雨水タンクNG(生活用水):0回(0回)
・電力不足(夜間照明が落ちた回数):2回(3回)
・コインランドリー:3回(7回)
僕はたまたま東京に生まれたので、そのまま東京に住んでいただけのことです。
そのため、いざ田舎に引っ越してしまえば、もう東京への用事も(ほぼ)無くなるのだと思っていました。
それが最近は仕事で東京へ行く機会が増えているので、予測不能な人生に突入しているのだなと思っています。
僕が個人的に東京へ行くとなれば下道なので、混んでいれば5時間以上掛かりますが、師匠の手伝いで行くときは必ず高速道路なので、東京も2時間圏内と急接近します。