昨日今日と、年一のイベントに古道具屋として参加してきました。
僕は普段あまり人付き合いをしないので、そんなところのギャップにちょっとやられてしまいましたが、兎にも角にも無事に終えることが出来ました。
今日はこのイベントに向けてやってきたことを書こうと思います。
昨日今日と、年一のイベントに古道具屋として参加してきました。
僕は普段あまり人付き合いをしないので、そんなところのギャップにちょっとやられてしまいましたが、兎にも角にも無事に終えることが出来ました。
今日はこのイベントに向けてやってきたことを書こうと思います。
先日買ってきた「デラウェア」の苗ですが、「シャインマスカット」や「サニードルチェ」に比べると、実の大きさがいささか控えめであることは否めません。
当然、ブドウの価値=実の大きさではないのだし、案外小さい実の方がワイン作りには向いている、なんてこともあるかもしれません。
“デラウエアや巨峰よりも、ベリーA、キャンベルといった品種が良いでしょう。”
参考:【ワインの作り方】クリスマスに作りたい自家製ワインの超シンプルな作り方
少し歩いたら田園風景が広がるような、自然豊かな環境の中で暮らし始めてもう6年になります。
しかしながら未だに僕はお米の正確な収穫時期すら分かりません。
「収穫の秋」という言葉があるくらいなのだから、きっと10月の間に刈り入れるのだろうと思っていましたが、今年は9月の月初あたりから、ちらほらとコンバインの姿を見かけます。
昨日の日記で、僕は200年前の古文書を焼いたと書きました。
そのことについて、コメントにてキツいお叱りを受けましたので、先ずはその謝罪と、若干?の訂正、そして釈明をしようと思います。
昨日の日記:文化時代(200年前)の古文書を焼き捨てる|Lead Pointerの使い方
義憤に駆られた者
歴史学を大学で教えている者です。
素人考えで古文書を燃やすなど、言語道断です。
しかるべき処置を加えれば、研究史料として活かせたかもしれません。
古文書を金銭で取引する古物商を軽蔑します。
大学なり博物館なり、しかるべき機関に預けるべきです。
あなたは文化の破壊者です。
先ずは不快な思いをさせてしまったことに対して、謝罪をします。すみませんでした。
次は若干?の訂正です。
先日は古文書と書いた例の書物ですが、実は手習いだったり、往来物や小唄長唄の束でした。
プロの人たちが読むと分かっていれば、間違っても「古文書」とは書けないようなものだったので、その点ではご安心下さい。
古文書 (こもんじょ)とは、広く「古い文書」の意味でも使われるが、歴史学上は、特定の対象(他者)へ意思を伝達するために作成された近世以前の文書を指す。特定の相手に向けたものではない文書、例えば日記や書物などは古記録と呼んで区別される。日本史の分野で多く用いられる用語であり、日本以外をフィールドとする場合、古記録とまとめて文書史料、略して文書(もんじょ)と呼ぶことが多い。
ではなぜ「古文書」と僕は書いたのか、理由は2つあります。
1つ目は、「古記録」と書くよりも、「古文書」と書いた方が圧倒的にキャッチーだと思ったからです。これはブロガーとしての性です。
2つ目は、僕の行く業者市場のノリが抜けていなかったからです。
僕の行く業者市場では、大して価値のないものが競りにかけられた場合、さも価値のあるものかのように、会主(胴元)たちがふざけることが多々あるのです。
例えば「通い徳利(とっくり)」が競りに掛けられた時は、通称の「貧乏徳利」などとは言わずに、ふざけて「殿様徳利」と呼ばれるのです。
僕以外の全員にはその冗談が通じているのですが、まだ通い出したばかりだった僕は、まんまと「殿様徳利」を信じ込んで落札してしまったことがあります。
1年以上も売れずに残った末に、つい先日業者市場で(二束三文で)処分しました。
この「殿様徳利」と同じノリで、その日僕が落札した虫食い穴だらけの「古記録」も、会主の皆は「古文書だよー、古文書ー!」とニヤニヤとしながら競りを進行していたのです。※本物の古文書が出る場合は、競りの会場も変わります。
昨日焼いた書物は、確かに古い文書ではありますが、数万~数十万円(それ以上も…)で取引されるような価値のある古文書は、間違っても僕の手元までは降りて来ません。※骨董は、海千山千の世界です…。
今回僕が買った古記録も、僕が手をあげなければ処分される運命の、もう誰も価値を見いださないような出殻のようなものだったのです。
※骨董の大先輩方にとっては出殻でも、僕には彼らにはない販路があるので、そんなところで何とか生活しているのです。
・
釈明というか言い訳のようなものも書き終わったので、本題に進みます。
これまで読んできた中で、「古文書」だろうが「古記録」だろうが、200年前の文書を焼くこと自体に問題があると思った方がいたかもしれません。
言いたいことは分かります。
僕たち古物商(※僕は見習いだけど)は、取り壊されるような古いお宅に眠っているかもしれないお宝(歴史的価値のあるものなど)をサルベージしようと、多大な労力とお金を費やします。
電気も水道も遮断された廃屋で、ホコリやネズミのフンなどにまみれて仕事をするなんてことも珍しくありません。
僕らに取り逃しがあれば、後は産廃業者によって処分されてしまうので必死なのです。
それでも苦労だけして大損してしまうこともあり得るので、この業界ではどんな属性の人間でも、必死に勉強する人が殆どだと思います。
古物の勉強をする切っ掛けがお金であろうとも、確かな目利きには価値があります。
古物商は、もしかしたらいかがわしい仕事のように思われるのかもしれませんが、しかし古物商がこの世からいなくなれば、一体どれほどの歴史的価値のあるものたちが家ごとスクラップにされ、この世から失われることになるのでしょうか。
いくらきれい事を並べていても、実利がなければ人はなかなか動けません。
顔の前にお金をぶら下げることが良くないという人もいますが、しかしこの世はお金を中心に回っているで、無償では動けないというのは当然なのです。
つまり、いくら200年前の文書でも売れないのであれば、僕は処分するしかありません。
そう突っぱねても良かったのですが、本当に“しかるべき処置を加えれば、研究史料として活かせたかも…”というのであれば、僕もそのお手伝いが出来るかもしれません。
そこで提案なのですが、今後も同じ様な場面に出くわすことがあると思うので、その場合はこの日記で報告するので、“大学なり博物館なり、しかるべき機関”に預けることが出来るという人は、名乗りを上げて下さい。
着払いにはなりますが、指定された住所へ送付致します。
手間ではありますが、僕も“文化の破壊者”にはなりたくないので、是非ご協力させていただきたいと思います。
昨日の日記には、もう一つコメントがありました。(ありがとうございました。)
せっかくなので、このコメントにもこの日記で返信したいと思います。
いちきゅー
お久しぶりです。
製図用の芯削りで使い方も合ってます!
何十年振りかで見ました。
今はpcで書いてウエーブでやり取りなのかな。
若かりし日、図面を毎日描いてた事を思い出しました。
お久しぶりです。
使い方が合っていると分かり、安心しました。
確かな情報をありがとうございました。
実は僕も、(学生時代のアルバイトですが、)少しだけ設計事務所で仕事をしたことがありました。
やはり図面はパソコン(AutoCAD)でしたね。
おしまい。
※週末からの三連休は、少し遅い夏休みにしようと思います。
現段階で、僕が出店することの出来る最大規模のイベントが、今月末に迫っています。
フリーマーケットの売れ残り商品でそのイベントに挑むのは得策ではないと思ったので、先日業者市場に行って、まとめて処分してきました。
その市場でも多少は仕入れをしてきましたが、それでも出店するにはまだまだ心もとないので、前回の市場から一週間も経っていませんが、また商品の仕入れのために、業者市場へ行ってくることにしました。
古道具屋の「矛」「楯」は、(商品を)集めてくる能力と、(商品を)売る能力だと思います。
どちらが良いということはありませんが、バランスは大事だと思います。
道具屋見習いの僕は、当然ながらどちらの能力も低いので、まだまだ修行が必要です。
最近は日が暮れると寒いので、長袖を着るようになりました。
昨晩などは冬用の布団を出してきたくらいです。
久しぶりに出してきた布団はヘタっていたので、翌日、干しました。
2ヶ月ほど足が遠のいていたのですが、先日、業者(古道具、骨董など)市場へ行ってきました。
フリーマーケットの売れ残りや、解体工事のお邪魔をして買い取ってきたものなどを持っていったのですが、結果は惨憺たるものでした。
僕が師匠について学んだことの一つに、「商品を入れ替える」というものがあります。
これはフリーマーケットや骨董市などで、毎回持っていくものを新しくするという意味なのですが、これがなかなか難しいです。
商品を手に入れるには、フリーマーケットや骨董市を巡ったり、お客さんから直接買い取ったり、業者市場に行ったりと方法はいくつかあるのですが、どこで仕入れるにしても、当然お金が掛かります。
基本的には、仕入れ値以上で売ることが出来ると思ったものを買うのですが、ここが肝であるだけに少しむずかしいところでもあります。
薪ストーブを買うと、煙突も買わなくてはならないし、設置工事も大変です。
お金がたまったら、ついに電気をひこうかと考えていましたが、衝動買いのように薪ストーブを買ってしまったところをみると、僕はそれほど電気を必要としていないのだと思います。
大袈裟ではなく、夏は本当に終わりなのかもしれません。
つい先日、ホームセンターのキャットフードコーナーに行くと、小さなモニターが設置されていました。
モニターに流れている映像は、テレビではおなじみのCMなのかもしれませんが、初見だった僕には新鮮で、引き込まれてしまいました。
ここ数ヶ月は、月初に一ヶ月の集計を書いていましたが、あまり変わり映えしないので、そろそろ飽きてきたのではないかと思います。
そこで今月からは、これまでの集計に加え、僕がその月に見聞きしたことのなかで、心震わされた出来事(主に趣味、娯楽)を書いていこうと思います。
この企画は直ぐに終わるかもしれませんが、少しでも気の合いそうな方はお付き合いください。