“平等”なルール

1時間でも図書館へ行こうと車に乗り込みました。

別荘の多い山の方から集落の始まる平地に入った辺りで、後方から白色のセダンが走ってくるのが分かりました。車間距離はぐんぐんと縮まり、あっという間に僕の車に追いつく勢いです。

迫りくる車に合わせ、多少スピードを上げることも出来ましたが、そんな気分ではなかったのでハザードランプを灯し、道路脇に車を寄せようと思いました。

ハザードランプが灯り、車を路肩に寄せようとする僕の意思を感じ取った白色のセダンは、僕が車を寄せるのを待っていられないといった感じで、右車線に大きく膨らみ、さっさと僕の車を抜き去っていきました。

明らかに危険な運転です。頭に血が上った僕は思い切りアクセルを踏み込み、、ということはなくて、いつものように田舎道をのんびりと走り、図書館へ向かいました。

それにしても「道路交通法」は少し変わっていると思います。

悪い意味で人間らしさが出ると思うのです。

法定速度「30km」「40km」のある程度舗装された車の少ない田舎道は、その通りの速度で走る人の方が少ないイメージです。

また、排気量が「50cc」の原動機付自転車、通称「原チャリ」ですが、これの制限速度は「30km」です。しかしリミッターの掛かる「60km」くらいの速度で走るのはザラに見ます。制限速度「30km」を徹底して守り、環状七号線に大渋滞を引き起こしても平気な顔をしていられるのは少年時代の学校の先輩、◯池くんくらいなのではないかと思います。

ちなみに◯池くんはヤンキーでもなんでもありません。恐らく免許取得の際にしっかりと学び、また、取得時に必ず見せられる交通事故の怖いビデオが思いのほか効きすぎただけだと思います。僕はこの変わった?先輩が結構好きでしたし、どっちが正解かと問われたら、即答は難しいでしょう。ただ、◯池くんは原チャリにある「キープレフト」を理解していたのかどうかはよく分かっていません。

道路交通法についてもう少し書くと、例えば法定速度が「40km」のところでは「60km」くらい、飛ばす人でも「70km」を目安に走ることが多いような気がします。捕まることを意識した速度であることは明白なので、当然自分が法を犯しているとの認識はあるといえます。

自分の意思で「道路交通法」を破ってやろうと思っているなら話は変わりますが、多くの人は周囲の状況に合わせ、なんとなく法を破り、それに慣れているのだと思います。これも一種の「同調圧力」といえるのかもしれません。

ただ、僕は交通法規を徹底して守ることが正しいというつもりはありません。

どちらかといえば「道路交通法」に無理があるとさえ思っています。

自動車教習所のお陰で、殆どの人が車の免許を取得出来るようになると、当然車の運転に不向きな人も、高齢化によって、運転が雑になる人も出てきます。

するとルールはどうなるのかというと、どうしても車の運転に不向きな人を想定して作ることになります。

大袈裟に書きますが、90歳のペーパードライバーの運転と、500mlの缶ビールを飲んだ教習所の先生の運転では、さてどちらがより危険なのでしょうか?

 

ではどうすればいいのだろうか?

ここは「スペシャル免許」といったものを作り、ベロベロに酔っ払った状態で運転させたり、または宇宙飛行士を目指す人向けの試験を課すなどして、それぞれの人に合わせた免許を新設するしかないでしょう。そして免許に合わせた専用レーンを走ってもらうのです。

反対に、一般の試験をもっと難しくするというのもありますが、運転できる人を増やしたい現代社会としては、こちらの方が難しいのかもしれませんね。

当然莫大な費用が掛かるし、免許の更新の度に「スペシャル免許」を取得した人は面倒な試験を受け直すなど、非現実的なことになっていきそうではありますが。

ちなみにですが、僕は先頭を走るのが苦手です。空気を読んで?いつもよりスピードを上げなくてはならないような気持ちにさせられるからです。

僕らは常に、見えない何かと戦っているようですね。

 

【購入者:アメリカ人✕2】
【図書館】
【LED照明点灯時間:∞】