適正ってなんだろう

昨日の夜、図書館で借りてきたDVDを軽い気持ちで再生しました。

『ディパーテッド』という映画で、監督は最近話題になったマーティン・スコセッシ、主演俳優は、レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソンです。

図書館で借りることのできる映画|タイニーハウスピリオディカルズ

 

ジャック・ニコルソンは相変わらず独特の雰囲気があって魅力的でしたが、このお爺ちゃん(2017年現在79歳)はイージーライダーの時代からずっと枯れないのだから凄いと思います。

こういう人を見ていると、「天性の才能」という言葉が頭を過ります。

もし誰の中にもこの「天性の才能」があるとすれば、それを知りたいと思うのは人情です。

では、科学の発展により人の才能を正確に数値化出来るようになるとしたら、これは幸せなことと言えるのでしょうか?

やりたいことが見つからないと嘆いている人、現在の職に満足出来ない人、自分探しが面倒な人など、様々な人がこれを求める気がしますが、もし、提示された職種が思うようなものではなかったとしても、適正だからと割り切り、その道を進むことが幸せに直結していくのでしょうか。

それこそ最適な人がやれば10分で終える仕事でも、向いてない人であれば30分掛かるかもしれません。

もしくは同じ時間で終えることが出来たとしても、心を擦り減らす度合いが全く違うという場合もあります。

これだけをみればやはり適正を計る未来のマシーンは救世主のように見えますが、人から見た世界と、自分の内側から見た世界は必ずしも一緒ではないのと同じで、安易に乗っかるのは危険な賭けなのかもしれません。

利益の追求が経営理念である企業で雇われることが前提であれば、ある意味物事は単純になりますが、個々人の気持ちを第一に考えた場合、正解は真逆になることがあります。

例をあげますと、1日のなかの大きな割合をブログに費やす僕の稼ぎ出す金額は、驚くほど少ないです。

これを利益追求の観点で考えると、箸にも棒にも掛からず「即刻止めなさい!」となりますよね。

※思い切ってそんなアンケートを取らせてもらおうかとも思いましたが、僕のメンタルがNGを出したので止めておきます。

 

今日は自己満足の話かと思った人もいると思いますが、出来ればそれだけで終わりたくはありません。

世間の評価は得られなかったとしても、それでも本気で「良い」と言ってくれる人が現れる可能性は十分にあるということ、これは今よりもずっとお金を稼いでいた頃には得ることの出来なかったものです。

自分の憧れるような人がそう言ってくれるかもしれないし、全く知らない人であっても、「良い」と評価してもらえるとそれだけで全てが報われるような気持ちになります。

結局は好きなことを存分にやれることが幸せなのだという、何の捻りもない話なのかもしれませんが、ただ、自分が好きになれることを探すというのは意外に難しいと思います。

好きになれることはなんなのか、それに気が付くまでには結構な努力が必要になる場合もあると思いますので、どうすればそんなものを見つけることが出来るのかを最後に少しだけ考えて、今日の日記は終わりにしたいと思います。

 

好きになれそうかどうかは、その対象のことを知らなくてはなりません。知るということは認知するだけでよい場合もあるし、詳しく知らなくてはならない場合もあると思います。つまり、知る為にはもう少し腰を据えてやってみる必要があったり、今よりも更に視野を広げる努力が必要だったり、逆に内面に目を向け、自分をもっと良く知ることに注力しなくてはならなかったりと、様々なことが考えられます。

 

僕の場合は、取り敢えずもう少し腰を据えて頑張ってみようと思います。

 

おしまい。

 

・平飼い卵:150円
・食材:100円

【LED照明点灯時間:∞】