「衣食住」を確保したその先を生きよう

オープン前の掃除の時にはかけなかった伊達メガネに、外出着としても可能な服を着て、エプロンを腰に巻き、手ぬぐいは首に巻き付けました。

帽子も日光で色あせたワークキャップではなく、ほぼ新品のハットをかぶったのは、ゴールデンウィーク初日、今日から本格的にお客さん対応の仕事が始まるからです。

ゴールデンウィークともなれば、当然のように満室の日が続くので、忙しさもピークを迎えます。

この期間は、新人のWさんとマンツーマンで働くことになるのですが、僕はゴールデンウィークが終わったらこのアルバイトを辞めるつもりでいるので、心の中では申し訳なく思いつつ、せめて僕がいなくなってもWさんがやっていけるようにと、しっかりと仕事を覚えてもらえるように頑張りました。

決められた時給と今日働く時間から、昼休みの一時間を差し引いた金額を頭の中で算出してみると、改めてこのアルバイト生活から抜け出さなくてはジリ貧だと感じました。

待機のような時間があったとしても、僕は雇われて働いているので、制約があり、また、束縛されています。感覚的には、目に見えない拘束衣を着せられているようなものなので、当然ながら息苦しさを覚えます。

仕事選びの際は、将来性とか効率などという言葉を思い浮かべがちですが、将来性はさておき、効率的というものは、お金の多寡だけで決まるものなのだろうかと考えてしまうことがあります。

肉体と精神、どちらかだけが健康であり続けることが不可能なことと同じように、人よりも多くのお金を稼ぐことが出来たとしても、その経路や手法、環境などと、他にも考えるべきことがあるような気がしてなりません。

仮に最低限の衣食住が確保出来るのであれば、僕は一体どんな仕事がしたいのだろうか?

僕に限らず、特に多くの若者たちには、ここらへんのところで悩んでみたらどうだろうかと思います。



先ほど「衣食住」と書きましたが、現代は、「衣」の確保については非常に容易になったと思います。誰もがタンスの中に、長らく袖を通していない服を持っている世の中になったからです。

※ここでいう「衣」とは、ファッションのことではなく、もっと生き死にに密着した衣服についてのことです。

 

「食」はどうだろうかと考えてみると、(ここが難しいところではありますが、)土地さえあれば畑を耕すことが出来るので、100%とはいえなくとも、頑張れば食費の大部分を圧縮することは可能だと思います。

 

借家住まいだったり、ローンで家を買った人にとっては、最も難関であるのが「住」だと思うのですが、これについては僕がこれからも継続して書いていけたらいいなと思います。

 

おまけ

仕事中に見つけたツツジです。

ツツジの花の根元を吸うと甘いことは、小学生の頃に知りました。

久しぶりに2本ほど吸ってみたのですが、記憶していたほどは甘くありませんでした。

ふと、僕はもう二度とツツジの根本を吸わないかもしれないと思いました。

 

ナスと卵のカレーです。

写真はアレですが、味は良いです。

 

今日からお昼は、ちょっと離れたところにある駐車場の車の中で食べることになりました。

僕の他には誰も来ないので、食後は仮眠をとりました。

 

寝ぼけ眼で思ったことは、『早く帰りたいな…』でした。

 

おしまい。




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