夜中に目を覚ますと心臓が早鐘を打っていました。
きっとおかしな夢を見ていたのだと思いますが、思い出すことは出来ませんでした。
また眠ろうと目を閉じますが、なかなか睡魔はやってきません。
元来寝付きが悪かった僕は、長い夜には慣れています。
出来るだけ何も考えないように意識しながらじっとしていました。
横になりながらとはいえ、半自動で巻き起こる思考の渦を意識して抑えつけるというのは、まるで瞑想をしているようです。
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僕とイメージとの間に思考が介在しなくなったころ、唐突に碧い玉のイメージが湧き上がりました。
真っ青ではなく、どちらかというと濃い群青色といった感じで、輪郭はうねうねと波打っています。
僕はこの碧い玉のイメージが浮かび上がったことに興奮していました。
碧い玉の補足 僕がまだブラウン管の向こう側にまで異性を感じることがなかった少年時代、テレビには宮沢りえが映っていました。 徹子の部屋だったか、それによく似た番組だったか、記憶は定かではないのですが、トーク番組で宮沢りえは、 「何かが上手くいく前には決まって、前兆のように碧い玉のイメージが浮かびます。」 たしかにこのようなことを話していたのです。 何の気なしに聞いていたこの不思議な話ですが、何故か大人になった後も、何かの折りに触れては思い出されることになりました。
唐突に浮かび上がった碧い玉のイメージは、消えてしまうどころかうねうねとした輪郭が空白部分を侵食していくように広がっていきました。
僕はこの碧い玉に成功とか幸せといったイメージを投影していたので、碧い玉の広がりを感じつつ、全身が粟立つくらい興奮していました。
眼前を埋め尽くすくらい、もうこれ以上広がれないくらいに膨張した碧い玉を確認したとき、ふと、、
『成功(幸運?)をどのように使うつもりか?』
このような感じのことを問われたような気がしました。
僕が咄嗟に思い描いたイメージは、「森」とか「自然」でした。
答えが先にあり、これに追従するように僕は自然環境や野生動物の為に生きていくのかと思った途端、目の前の碧い玉のイメージはサッと消え去ってしまいました。
間違った答えをしたような気がしました。
僕はまた碧い玉のイメージを再現させたくて、慌ててやり直しを試みました。
『言葉を使ったイメージの世界!?』
『えっーと、、文筆家!?小説家!?』
散々やり直しを図りましたが、碧い玉のイメージが再現されることはありませんでした。
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僕の思春期は、非常に不安定でした。
家庭環境の大きな変化もあって、色々な意味で荒んでいたと思います。
いつも気持ちが晴れず、変な夢、金縛り、白昼夢、スピリチュアル体験ともいえそうなこと、心霊体験のようなことまで、たまにですが、おかしなことが数年間続きました。
思春期に起きる脳の肥大化に外郭の成長がついていけず、その歪で不安定になることがあると、いつか耳にしたラジオの言葉に妙に納得させられ、以来この説を信じています。
僕はスピリチュアルも都市伝説もUMAなどのオカルトも、面白いものや夢のあるもの、壮大な物語などは、人並みには好きなのですが、鵜呑みにすることはありません。
「右」も「左」も「理詰め」も「スピリチュアル」も、様々な方向へ行き切った人がいても良いとは思いますが、僕自身はなにかに傾倒することなく、それらの中心に錨を下ろし、いつでもバイアスの掛かっていない思考が出来るように心がけたいと思っています。
今日は久しぶりにおもしろ体験が出来たので、つい変なことを書いてしまいました…。
おしまい。
叔母が脳の治療を受けていた時、面白いことを言っていました。
「窓辺にね、透き通った白い人がいるんだよ。これをみんな幽霊って言ってるんだろうね。脳とか神経ってのは不思議なもんだね。」って。
治療を受けながら幻覚について冷静に語る叔母に驚きました。
彼女は最強の現実主義者です。(笑)
面白い話ですね。
幻聴や幻覚は確かにあるものなので、スピリチュアルや心霊体験などをそれほど大仰に捉えなくても良いのかもしれませんね。
碧い玉が溢れてきたら、己ではなく他人の為に惜しみなく使うのだよ♪ ふぉっふぉっふぉ
僕は他人よりも自然や動物ですかね…。