野生動物と1/6000の支配者層|煙突トップの改善

夜、軒先から吊るしている温度計をみると、最近は-10℃とか-12℃とか表示されています。

これがうまい表現なのか分かりませんが、この寒さ、冷たさは少し“重たく”感じます。身体の中にジワジワと染み込んできて、挙句頭の中を痺れさせてしまいます。

この“重たい”寒さの中にいると、我が家にも遊びに来る野良猫、そして野生動物たちのことを考えてしまいます。

ただでさえ食料が乏しい世界で、暖かくして眠ることも出来ないのです。

そんなことを想像し、いくら胸を痛めようとも、やはり僕は自分の人生を削ってまで動物たちに尽くすことは出来ません。自分のことだけでも精一杯だし、猫を4匹養う程度のことでも、(金銭的に)大変だなと思ってしまうことがあるくらいなのです。





そんな僕のような者でも暖かい部屋でグッスリと眠ることが出来ているので、地球規模で考えれば人間は、資源をふんだんに消費し享受することの出来る、極端に優遇された種族なのだと思います。

これは自然界の中で人間が“勝ち取った”という言い方も出来ますが、そんな頭の良い人間がその気になれば、もっと多くの動植物たちにも、心地よい環境、食料を分け与えることだって出来そうな気がします。

それをしないのは、まだまだ自分の利益を追求したいという“欲”の為だったり、単純に面倒だという“怠惰”だったり、もしくは自分のことで精一杯になってしまう“社会的構造”の中にいるからなのかもしれません。

一説(都市伝説レベル?)には、世界は6000人のスーパークラスに牛耳られていると言われていますが、もし僕がこの1/6000の支配者層の人間だとしたら、もっと動植物目線でこの世界を見ていきたいと思います。

しかし僕は1/6000の人間ではないし、仮に1/6000になったとしても、きっとその地位を守ることだったり、しがらみだったりに雁字搦めとなり、とてもお花畑のようなことなど言っていられないような気がします。

 

僕はこの寒さに触れ、野生動物の心配をしましたが、そういえば人間の中にも、野良というか野生のような生活を送る、住居を持たない(もてない)人々(いわゆるホームレス)がいます。

例えば、新宿などで目にするホームレスコミュニティや、どうみても20代くらいのホームレスなどは、助け合うことが出来たり、楽しんでいたりするのでそれほど心配にはなりませんが、僕の住む山梨のホームレスは、一人ぼっちだし、寒そうだしで、見かける度に餓死とか凍死の心配をしてしまいます。

 

インドでは、貧しい人ほど路上の物乞いにバクシーシ(喜捨)するといいますが、これはカルマ思想が根底にあり、貧しい彼らは今よりも良い来世を願ってバクシーシするのだと言われています。

貧しい人々による施しも尊いですが、1/6000の人の気まぐれには遠く及ばないような気もするので、ここは動物たちにも頑張ってもらい、自分の健気さや雄大さを、これでもかというくらい誇張して見せつけ、いつの日か富を牛耳る人々の心を鷲掴みにしてもらいたいものです。

貧しい僕が頑張ってどんぐりの苗を植えたりするよりもよっぽど効果があるような気がします…。

 

いつもの水汲み場にも氷柱が出来ていました。

水も痺れるくらいに冷たいです。

 

 

下の蓋を取り、そこから柄の長いワイヤーブラシを突き刺せば、一々煙突を下ろすことなく掃除が出来る筈だったのですが、、

このように煙突トップが容易に外れてしまうようになってしまったので、また掃除の度に煙突を下ろさなくてはならなくなりました。

煙突トップの中

ワイヤーブラシで煤を落としています。

要は煙突トップが外れなければいいので、ドリルで穴を開け、針金で固定することにしました。

106φの煙突ですが、3箇所で固定することにしました。

これで次回からは煙突を下ろすことなく掃除が出来そうです。




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