今日は夕方まで薪を割ったり、その薪を移動させたりしていました。
途中ご近所さんや配送の人が来たくらいで、特段変わったこともありませんでした。
お風呂に入る前に近所を散歩してきたのですが、途中で建築を止めてしまった小屋や、大規模な工事現場に遭遇したりもしたので、今日はこのあたりのことを書いていこうと思います。
昨日と同様に、用水路脇を歩きました。
昨日踵を返したポイントまで来ました。
昨日の、進むことを断念した足跡がしっかりと残っていました。
今日はこの足跡を越えていくことにします。
少し進んだ先の道は雪掻きされていたので、とても歩きやすくなっていました。
誰かが作った雪だるまが、ここまで進んできたことを祝福するかのように、道の真中に鎮座していました。
暫く進むと、大きなアクリル板を壁代わりにしている、非常に開放的な小屋が見えて来ました。
※とても個性的な小屋なので、外観の掲載はやめておきます。
4畳半程度の大きさしかありませんが、見晴らしが良く、とても気持ちよさそうな小屋です。
しかし中途半端な状態のまま、建築は中断しているようです。
アクリル板が貼られた室内側の柱は新しい色をしていますが、野外に出た部分はねずみ色に変色しています。
土台の角材はもう今にも崩れそうなほど劣化が進んでいました。
メンテナンスをせずに屋外で風雨に晒され続けると、ここまで劣化してしまうということが良く分かりました。
さて、お次はログハウスです。
良くも悪くも、このログハウスからはワイルドさが感じられないと思いました。
その原因は一体なんなのでしょうか?
・規格サイズの丸太を使っていること
・塗装をしていること
・端をまっすぐに切りそろえていること
パッと思いついたのは上の3点でした。
しかし塗装に関していえば、雨の多い日本では仕方ないことなのだと思います。
かつては僕も米杉(レッドシダー)の屋根に憧れたことがありますが、この屋根もまた、雨の多い日本では不向きのようです。
やはり日本では日本の気候にあった建材を学ぶ必要がありそうですね。
こんなログハウスだったら住んでみたいと思います。
この細い丸太の壁は、キノコ栽培で使うほだ木の使い終わったものです。
かつて無断で持っていかれたことがあったのか、ここは私有地なので入らないようにと看板が立てられています。
(ここからは勝手な想像ですが、)もう使い道のない木々だとしても、知らない人に無断で持っていかれるのは不快だから、誰も入ってくれるなと看板を立てているのかもしれません。
このように思うのは、至って普通の感覚だと思うのですが、もしかしたらきちんと誠意を持って話をすれば、ここらへんの人たちはこの資源を有効に使わせてもらえていた可能性もあったのかもしれません。(想像終わり)
ヒノキ林が出てきました。
よく見てみると、中には腕章のようなものが複数巻かれたものがあります。
(これも僕の想像なのですが、)この印の付いたヒノキは付いていないものと比べると太いので、ゆくゆくは建材として出荷するので、間伐せずに成長させる予定だという意味があるような気がします。
この先で工事をしているようです。
道路のアスファルトが全部剥がされていました。
こんな状態の道路を歩くのはレアだと思います。
特殊車両をみると運転してみたくなりますね。
しばらく歩くと、道路との継ぎ目に出ました。
今更なのですが、僕はここを歩いてきてしまって良かったのでしょうか…?
少し不安になってきました。
砂利を積んだダンプなら、僕も少し前に体験しました。
基礎工事|ダンプをレンタルして砕石を買いに行こう|プレートを使った転圧|タイニーハウスピリオディカルズ
ふと、10代の頃に教わった(うろ覚えですが)知識を思い出しました。
それはアスファルトの特性と寿命のことです。
アスファルトは、確か20(30?)年くらいかけてゆっくりと硬化していき、そのピークが過ぎると急速に崩壊していくのだそうです。
若かった僕は、これは人間と同じだなと思いました。
あの時から大分歳を取ってしまったので、『いやいやいや、肉体的ピークは過ぎようとも、知識や知恵が蓄積されていればそれを補って余るくらいの価値が出るに違いない』と、(まるで祈るような)考えに変化してきました。
せめて満足の行く暮らしの基盤が出来上がるまでは、(自他共に)折り返したと思われないように頑張っていきたいと思います。
建築中の現場があったので、敷地内に立ち入らないギリギリのところまで近付き、見て学ぼうと覗いていたのですが、あまりにもレベルが高いので、僕が作るような小屋の参考にはならないような気がしてきました。
この角ログは、少なくとも僕が移住してきた時からずっと放置されたままです。
何年も雨風に晒され、建材も真っ黒に変色しています。
せっかくここまでやったのに勿体無いと思いますが、人にはそれぞれ都合があるので、こればかりは仕方がないのだと思います。
用意しておいた建材も、長年放置された為に劣化が始まっています。
今後も使う予定がないのであれば、内心では是非とも僕に売っていただきたいと思うのですが、この家を建てたいと思って買った当の本人を前にしたら、とてもそんなことは切り出せないような気がします。
これは我が家に古材の山があることを知っている人に、
「あの古材、もう何年も置きっぱなしですよね?使わないのであれば譲って貰えませんか?」
このように言われるのと同じかもしれないのです。
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今日は30分以上は散歩したと思います。
小屋に戻ってアロマ缶を温めて飲みました。
おしまい。