田口

今日も先週の金曜日と同じ一日をなぞるのだろうと書くのは簡単だけど、実際にはいつかと同じ一日なんて起こりようがない。

ずば抜けた記憶力があれば一々違いに気が付くから尚更だし、一般的な記憶力しかない自分にとっても、先週の金曜日も先々週の金曜日と同じくらい何をやっていたのか思い出すことは出来ないのだから、そんなあやふやな対象と今日を比べること自体に無理があるのだ。





人の記憶力はあやふやで信用できないけど、ガソリンスタンドでリッター辺り136円という表記をみれば、少年時代は100円くらいだったなという記憶が蘇るし、ベネズエラでは100円もあれば普通車が満タンに出来るという、最近どこかで仕入れた知識も付随して湧き上がってくる。

これは脳が勝手に物事に重要度を持たせているということだけど、つまり、自分の脳だけど自分の意思ではコントロール出来ないということを意味している。

学んだはずの英単語はどうしたって思い出せないというのに、子供の頃からの嫌な記憶だけはうじうじといつまでも覚えている。

脳における情報の取捨選択を自分の意思で行えたとしたら、少しは違った人生を歩んでいたのかもしれない。

 

降り始めた雨の中を運転していると、スーツなんかを売っている「紳士服コナカ」という店が目に入ってきた、と、ふいにある記憶と記憶が繋がったような、確信めいた錯覚に取り憑かれた。

 

それはまだ未成年だった時の記憶。

少年時代の、濃密な日々を送っていた頃の話。

 

当時僕がまだ17歳だった頃、どうしてもスーツが必要になった。

「紳士服コナカ」なんてオッサン臭くて嫌だと思っていたけど、お金はないし、取り敢えず1日だけ着られれば良いものだからと、兎に角安く済ませようと思っていた。

店に入るとガラガラで、店員のふくよかなおばさんが一人いるだけだった。

なんで覚えているのか不思議なんだけど、確か名札には「田口」と書かれていた。

「お金がないので一番安い物を下さい」

その頃は丁度引っ越しを終えたばかりで、思い出したくもないくらい孤独で、一歩間違えれば死んでしまいそうなくらいに苦しい日々だったから、田口(店員のおばさん)相手にべらべらとよく喋っていたような気がする。

数珠繋ぎで放った言葉の中の何かが思いがけず田口の琴線に触れたのだろうか、試着室で田口に着せてもらった最初のスーツを、「これでいいや」とあっさり決めたところで、突然田口が、「これ、おばさんが買ってあげる。」と言い放った。

僕は、『え、なんで…?良いの…!?』という気持ちと同時に、そこはかとない不気味さも感じたので、出来るだけ何でもないようにつとめて明るく、「いいよ、自分で買うよ」と、田口の申し出を断ることにした。

 

丈詰めも終わってレジで会計となった時に田口は、「じゃあこれ」と言って、3000円の値札の付いた名刺入れをスーツの入った袋の上に乗せてきたのだった。

「大丈夫なの?」という僕に対し田口は、「後でお金を払っておくから大丈夫」と言って、別れ際に「それじゃ頑張って!」というようなことを言ったと思う。

 

その後僕は近所の「紳士服コナカ」に行くことはなかったけど、あの時会員登録をしていたようで、忘れた頃に分厚いクーポン券の束と、田口直筆の手紙、そして鉛筆が2本入った封書が自宅に送られて来た。

その手紙には、「お変りありませんか?」とか、「陰ながらご活躍を期待しております」といった、当たり障りのない内容が書かれていただけだったし、そのうちにスーツも名刺入れも処分してしまって、次第にこのときのことを思い出さなくなっていった。

 

それが今日、ふと視界に入った「紳士服コナカ」の文字を見て、「あっ」とあることに気がついてしまった。

17歳だったあの頃はまだ知る由もないことだったのだけど、その数年後に父親が死んではじめて発覚した、全国に散らばった会ったことのない兄弟姉妹の存在、そしてそれぞれの生みの親のこと、殆ど情報は残っていなかったけど、親父の遺品の中には一枚だけ、見知らぬ女性と2人の息子を写したものがあって、その写真のおばさんこそがあのふくよかな女性店員、田口だったのだとやけに確信めいた閃きが脳内で炸裂したのだった。

まるで点と点が繋がったような感覚に、もはや僕の中では紛れもない事実のような気がしているのだけど、きっとこれも得体の知れない存在に、僕の脳を面白可笑しく操作されているだけのことなのかもしれない。



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