真っ直ぐに歩けなくなって悲しい|用水路が再開されて嬉しい

好き嫌いがハッキリとしてきたのは思春期からで、そのころから”生理的に無理”という感覚が分かるようになったのですが、歳を重ねるにつれ、理屈で物事を考えたり、感情よりも損得を優先させることにも慣れ、あぁ、これが大人になるということかとある時ふと気が付くのですが、それは大人になるというよりは、ただ社会人として生きていくための処世術だったのだと、ここ最近はそのように考えるようになりました。



企業勤めを定年退職して社会のしがらみから一気に開放された方々の中には、やけに横柄になったり自己中心的になっていく人がいると感じることがあるので、人に優しく謙虚でありたいと思うのなら、ある程度は人付き合いをするなり地域活動に参加するなりして、意識して協調性を失わないように配慮する必要があるのかもしれません。

 

 

今日は週末の間に溜まった郵便物の発送で外出をしたのですが、その時の車の運転で、どっちが道を譲るかというような下らないいざこざに遭遇してしまったので、ちょっと嫌な感じの書き出しになってしまったかもしれません。

しかし僕は配慮することが出来たし、間違った運転もしていないと胸を張って言えるし、聡明で優しくて尊敬出来る年配者もいると分かっているので、ここでグチグチ書いてウサを晴らすよりは、今日のことは天災に遭ったと思って綺麗さっぱり忘れようと思います。

 

 

薪ストーブを焚くと小屋の中が若干煙っぽくなってきたので、今日は煙突掃除から始めることにしました。

通年薪ストーブを使ってきた感覚では、煙突掃除は月に一度で十分だと思っていましたが、日記を振り返れば分かるように、今年は半月に一度のペースで掃除をしています。

庭を圧迫しているヒノキの丸太を優先して消費していることと、若干乾燥が不十分な薪を使っていたことが原因だと分かっているので心配はしていませんが、これだけの頻度になるなら、もう少し掃除のし易い煙突にしておけば良かったと思います。

態々全ての煙突を庭に出して掃除をするのは、少しだけ大変です。

 

今日は風呂トイレ小屋のコンクリート土間にドリルで穴を開け、コンクリートブロックを積み重ねる為の鉄骨を入れました。

鉄骨を入れる位置を出すには、一度コンクリートブロックを正しく並べる必要があるので、思いの外時間が掛かってしまいました。

遅くまで仕事をしていると寒くなるので、今日は若干早めに仕事を切り上げ、山の方まで散歩をしました。

電柱から電柱までの間を、目をつぶっても曲がらずに真っ直ぐ歩けるかという確認をしていたのですが、何度試しても右に逸れてしまいました。

ドリルやグラインダー作業で耳がキーンとしていたのが原因かもしれないと、今度は少し左に曲がるように意識して歩いてみたところ、今度は左の縁石にぶつかってしまいました。

移住前は同じようなことを多摩川沿いでやっていたのですが、当時は結構真っ直ぐに歩けていたことを思い出し、少しだけ悲しくなりました。

葉が落ちて貧相になった近所の森

 

 

薪を割って小屋に帰ろうと思ったところで、昨日からコンクリートの硬化を待っているメガネ石の筒を抜いていなかったことに気が付きました。

たった一日しか経っていないのに、幾ら引っ張っても抜き取ることが出来ず、結局何十分も掛かってしまいました。

手には豆を作り、大汗を掻いて作業をしていたら、いつも通り辺りは暗くなって来てしまいました。

昨日の夜中にでも抜いておけば良かったです。

タガネやハンマーやペンチなどを駆使し、なんとか抜き取りました。

キツかったです。

 

 

今日は大変な一日でしたが、とても良いこともありました。

丸々一ヶ月もストップしていた用水路が、ようやく再開されたのです。

潤沢な水量の用水路

 

水汲みは少し大変ですが、直ぐ近くに水場があるというのは大きな安心になります。

ちょうど雨水タンクが枯れそうだったので、良いタイミングでした。



“真っ直ぐに歩けなくなって悲しい|用水路が再開されて嬉しい” への2件の返信

  1. まっすぐ歩けない(右に偏る)のは、きんたまの重さが偏ってる(右のほうが重い)からです。
    というのが近年の研究では有力な説です。(インターネットで見たのでたぶんあってます。)

    知識や経験や行動を積み重ねるほど人の懐は広くなるように思います。
    それが年を重ねるということだと思います。
    何歳だろうと、知識や経験や行動がないままだと、人生を積み重ねても人の成長は止まったままだと思います。(いつまでたっても少年のような心)

    そういう意味ではテロルさんが出会ったその方も、見た目は年を取っているように見えたかもしれませんが、実質はずいぶん年下だったのかもしれません。

    思いやりとは、わかっているほうがわかっていないほうを許容することだと思います。
    結果としてテロルさんにやさしさが残ったなら、よい出来事だったのかもしれません。

    1. こんにちは。

      右に偏っている男です。

      歳を取って幼児返りする人もいますよね。
      あれは老化とか劣化と呼ばれるものなのかもしれませんね。

      体力作りを怠らず、節制もして、死ぬ直前が精神年齢のピークであることを理想とするのも良いかもしれませんね。

      >思いやりとは、わかっているほうがわかっていないほうを許容すること

      なるほどですね。
      良い言葉だと思いました。

      許容する側、許容してもらう側、バランスのとれた環境で暮らしたいものです。

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