トンボだらけの道を車で走って分かる自分の軽薄さ

一昨日、昨日と、酔っ払って眠くなり、早い時間にベッドに入るという行動を繰り返しているので、今日は目覚ましをセットしていないというのに、まるで仕事がある日のように早起きしました。

束縛のない生活だと自然と昼夜逆転してしまう者にとっては、アルコールによる害と、早寝早起きによる利を比べたら、一体どちらに軍配が上がるのでしょうか?

 

今日は何年間もあまり代わり映えしない自分の衣類について考えました。

荷物は少なくしたいと昔から一貫して思っていますが、しかしまだ着られる衣類を捨てることは、消費を減らしたい小屋暮らしにとっては賢い選択とはいえません。

衣類は消耗品ともいえるので、移住の際、僕は衣類を殆ど捨てることなく持ってきました。

靴に関しては、移住時に持ってきたもののうち、既に5足以上は捨てています。衣類に関しても、外行き→部屋着→作業着というサイクルを経てから捨てますが、それでも考えてみたら靴と同じくらいは捨てているような気がします。

捨てているはずなのですが、本日数を数えてみたところ、作業用や寝間着、ハーフパンツも全部合わせれば、パンツだけでもまだ25本は残っていました。

これは一見ラッキーですが、実は困ってもいます。

衣類には飽きがくるからです。

 

気に入っているものを上下で3つずつくらいに絞ることは出来るのだろうかと思い、今日はロフト上にある洋服を全て下の階まで下ろし、鏡の前で一通り着てみました。

着てみて驚いたのですが、どれも捨てることが出来なかったのです。

 

そういえばこれまでにも何度か同じ行動をとったことがあったと、ふと思い出しました。

その度に生き残ってきた洋服たちなので、捨てられなくて正解だったのです。

 

思い切ってリメイクでもすれば、着られない服を量産し、呆気なく断捨離が出来るような気がしますが、なんとなくこれは自傷行為にも似た、あまり賢くない行動のように思うので、気が進みません。

 

 

今日は久しぶりに図書館へ行ったのですが、車で向かう道中、大量のトンボが飛んでいたので困りました。

田んぼが多い道なのですが、あんなところを車で飛ばしたら道路はトンボの死骸で一杯になると思います。

今日は後続車がいなかったのでノロノロ運転が出来ましたが、そうではない日だったら、僕にはどんな行動が出来たのでしょうか?

空気を読んでアクセルを踏み、トンボを轢き殺しながら進むか、ハザードランプを灯し路肩に寄って、後続車に道を譲るという選択もあります。しかしこの場合は、自分はトンボを殺さないような運転が出来ますが、後続車の運転には一切関知しないということです。

つまり、トンボの命を大切にしたいからノロノロ運転をするという気持ちだけではなく、トンボを轢き殺したり、車のフロントをトンボの死骸だらけにするのは気持ち悪いというような、そんな軽薄さがあると思います。

僕の正義感とか愛護の気持ちなど、所詮はこの程度なのでしょう…。

図書館では学習室を借りて、ブログだけではなく、イラストレーターを使ってちょっとした作業をしていました。

館内のエアコンが少し寒く感じました。

 

今年の山梨は、夏がありませんでした。







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