ペアガラスの必要性|ランタンの光を独占

郵便局で発送を終えた後はずっと木工作業をしていました。

グラインダーで鉄を切ると寄ってくる馬鹿なハルゼミの数は2匹になり、その2匹は僕の目の前で小競り合いをしています。

 

磨き上げた古材にワックスを塗り込み、そこから更に磨きあげることを繰り返すと、木の表面は割ったばかりの石のようにスベスベになっていきます。

頬ずりしたくなるという表現がピッタリだと思いましたが、実際はちょっとさする程度です。

長時間ヤスリがけをしたこの苦労は、お金に変えるばかりではなく、いつか自分の住む小屋に使いたいなと思いながら作業をしていました。

次の小屋は窓の多いものを考えているので、敷地の至るところには、数年掛けて集めてきたガラス戸が沢山待機しています。

そこに今日はまた一組の窓ガラスが追加されました。

 

木工の作業中、近所の別荘に住む方が訪ねてきました。

「取り外した窓ガラス使う?一応ペアガラスだけど白く濁ってきてるから取り替えたほうがいいかもしれないけど…。」

 

さっそくその窓ガラスを見せてもらうことにしました。

その別荘は今、南向きのポーチを作るためのリフォームをしているのだと言っていました。

リフォームと聞くと反射的に自分でやるものだと思ってしまいますが、件のお宅では、僕と同世代くらいの大工さんが一階部分の庇に登り、南向きのポーチを作るべく奮闘していました。

窓ガラスはログハウス用のものだったのでやたらと幅のあるものでしたが、加工をすればいくらでも使えるので、ありがたくいただくことにしました。

“ペアガラス”と聞いた時点で貰うことがほぼ決まっていたような気がします。

山でテントを張って生活するかのような覚悟で移住した頃から考えれば、今はなんと気の抜けた日々なのだろうかと思うことがあります。

そこに今度は“ペアガラス”が手に入ったのだから、僕の冬は年々暖かくなっていくようです。

 

移住当初の小屋の窓は全てアクリル製でした。

そんな窓をみて近所の人からは、「ペアガラスじゃなくてはとても冬を越せないぞ」などといわれ、なんだかバカにされたような気持ちになったことを思い出します。

「冬になったら窓にはビニールを貼ればいい」と、当時は反発的なことを思っていましたが、まあ、“ペアガラス”をくれるというのであれば、それはやぶさかではないのです。

 

昨日は電気が尽きてしまったので、冬の夜のようにランタンの光で過ごしました。

 

現代の日本で、臨場感のあるランタンの使い方がしたかったら、キャンプに出かけるか電気を引かずに暮らすくらいしかないような気がします。

使い放題の電気がある環境で灯すランタンの光は違って見える筈だと考えてしまうのは、人間ならではですね。







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