幸せを掴み取った者の末路…。

目覚まし時計の凶悪ノイズで叩き起こされることもなく、今日も穏やかな気持で目を覚ますことが出来ました。

この奇跡を当たり前のことにはしたくなかったので、僕はいつしか目覚めの瞬間に幸せを噛みしめるようになっていました。

 

お金は無いけれど、眠れない夜に怯えたり、ストレスフルの目覚めだったり、満員電車でみくちゃにされたり、嫌いな上司にも気を遣わなくてはならなかったり、自分の将来が見えてしまった気がして落ち込んでしまったりすることもなくなったので、僕はこれだけでも十分に幸せだと感じてしまうのです。

これまでの生活がキツかった反動で、今の生活を幸せだと錯覚してしまっているだけなのかもしれませんが、不確かな中で唯一信じるに値するのは、自分の本音、つまり僕がどう感じているかということだと思うので、それでいえば僕は、やっぱり幸せを掴み取っていることになるのかもしれません。

後はこの幸せをいかに繋ぎ止めておけるかということになりますが、分かりませんが、案外これこそが難しいのかもしれません。

 

爽やかな朝(昼に近いけど)は、不要になったダンボールや紙ゴミなどを燃やし、まるで狼煙のような煙を撒き散らすことから始まりました。

 

『ビカーッ!』

 

軽トラのシートに雨がたまっていたので、シートを引っ張って水を下ろしたのですが、案の定?ズボンと靴下を濡らしました…。

 

さて仕事です。

実際に体験してみて思うのですが、勤労(雇われ)ではないというだけで、とてもリラックスした状態で働くことが出来るようになりました。

 

商品が壊れないように梱包するのは当然として、僅か数cm、数gの違いで、安価な配送サービスを受けられなくなることもあるので大変です。

 

出社する必要もなく、小包を作るだけの簡単な作業っぽくみえますが、これが案外大変で、ちょうどよいダンボールがなければわざわざスーパーまで車を走らせることもあります。

また、配送の受付が「15:30」までなので、お昼くらいまで寝たとしても、この時間までには仕事を終えるように心掛けています。




先日の健康診断で、多少身体が大きくなっていることが分かったので、食べていいものかと躊躇しています。

 

とりあえず、「(ロッテの)チョコパイ」「(ニセ)チョコパイ」の違いを探ろうと思って開けましたが、余りにも違いが明白だったので、これ以上追求するのはやめておきました。

 

外の鉢植えたちの冬支度として、(松の)落ち葉をかけてやりました。

 

ちょっと近所まで散歩に出かけました。

地面の緑の上に銀杏の黄色が降り積もり、ちょっと“サラダ”っぽくみえました。

 

こちらは“わかめサラダ”です。

 

この日の最後は、珍しく図書館へ行きました。

受付では「勉強のため…」と申告しますが、本当はブログを書いています。

 

おしまい。




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