貧乏だけど幸せだという話

僕が東京で働いていたとき、忙しくしていたのは「お金」の為でした。

お金を稼ぐために、それこそ命を削って働いたのだと思います。

そして現在は、田舎で、かつ電気、水道などのインフラの整わない小屋暮らしを送っているので、ベーシックな生活をおくるだけでも、そこそこ忙しく働かなくてはならなくなりました。

環境を変えたことで僕の生活は大きく変わりましたが、特に去年の春、思い切って雇われ仕事を辞めてからは、「日々の労働を苦に思わなくなった」というミラクルな変化が訪れました。

「お金」の為の労働も「ベーシックな生活」の為の労働も、働いているときにそのことを意識することはありません。

悪く言えば「ON、OFF」の切り替えが出来ていないということになりますが、それであれば僕は基本的に「OFF」のつもりで働いています。

 

僕は長らく「勤労」「忍耐」「美徳」だと信じてきました。

品行方正であること、働き者であること、そして誰にも迷惑を掛けないこと。

今ではそんな思考だった自分を恥ずかしく思うし、苦しい日々から抜け出せなかったのは当然だったと思います。

今日も僕の「日々の仕事ぶり」を書いていきますが、この日の労働で稼いだお金は「0円」です。

しかし支出が「0円」という日も多いので、僕は未だに生きていられるのだと思います。

 

年に一回、北杜市では健康診断があるのですが、もう何年も休んでいました。

 

歳を重ねるごとに健康診断が怖くなり、遂には寄り付かなくなっていたのですが、さすがに心配になってきたので、最終日の受付ギリギリの時間になってから、渋々行くことにしました。

 

結果は後日にならないとわかりませんが、とりあえず僕は、全体的に大きくなっていたことが分かりました…。

※何故か背まで伸びていました。

 

いわし雲?

 

家に帰ってから、この日はじめてご飯を食べました。

 

先日、電気不足で小屋の照明が使えませんでした…。

いつもは軽トラのバッテリーと交換するのですが、この日は実験的に発電機で充電をしています。

 

このくらいの電圧で充電していました。

 

午後は処分を任されている(「薪用に貰った」と同義)木の回収に行ってきました。

 

これまでにも何度か運び出している丸太ですが、根っこの方は川に浸かっているので諦めました。

※川が凍ったらまた回収に来るかもしれません。

 

一回目は「枝」を中心に、、

 

2回目は玉切りした本体?を運んだのですが、先日の雨を含んで異常に重たくなっていたので大変でした。

 

軽トラから、転がすようにしてやっと下ろしました。

 

薪集めに付随して、着火剤の「松ぼっくり」も集めておきました。

『この造形美…』と書こうと思ったのですが、自然のものなので『この機能美…』と書いたほうが正しいのかもしれませんね。




風呂小屋まで商品の撮影をしに行ったのですが、(開口はたくさんあるのに、)カラフルな鳥が小屋の中から出られなくなっていました。

テンパっていて可愛そうだったので、扉と窓を全開にしてやりました。

 

我が家の収入源の殆どは、インターネット販売にあります。

昼間のうちに商品写真だけでも撮っておければ、日没後にアップロード作業が出来るので頑張っています。

 

風呂小屋制作も、大まかなところは殆ど終わりました。

最後にねじれた柱とコンクリートブロックの隙間埋めをしようと思います。

 

生クリームの絞り袋にインスパイアされました。

 

今回隙間埋めに使ったのは、壁塗りで余った「土壁」です。

スサと呼ばれる、ひび割れを防ぐ“つなぎ”が入っているのですが、これが隙間埋めには邪魔となってしまいました。

 

 

一日の最後は、余裕があれば「散歩」をします。

 

コンビニの高いサラダに入っている「パリパリ麺」にそっくりですが、これらはすべて「松」の落ち葉です。

 

調子に乗ってはしゃぐと転びます…。

 

おしまい。




“貧乏だけど幸せだという話” への2件の返信

  1. なんかスゴイです。
    ツイッター眺めてたら、何となくこちらのブログに、たどり着きました。
    これからも、ブログを楽しみにしています。

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