文字の発明により、知識の伝達が容易になりました。
先人たちは学んだ知識を文字に変換し、後世に残してくれるようになりましたが、現代においてその数は膨大なので、僕らはその中から良き教本を選び取るセンスを身に着けなくてはならなくなりました。
反対に著者たちは、読まれる(選び取ってもらえる)ための工夫をするようになりました。
今日は僕の本棚の中の数冊を取り上げ、良き教本とはなにかについて考えていこうと思います。
※過度の期待は禁物です。
現在手を付けているのはこの本です。(発行:1983/29刷:1993)
カバーは高解像度のカラー写真が使われています。
現代でいうところの「ヤンキー」でしょうか?
1ページ目のイラストから力が入っています。
そして2ページ目からは、いきなり釈尊(釈迦)の生い立ちが始まりました。
続いては「将棋の教本」です。(1937~1942)
少し古くなって来ましたが、カバーはあるし、しかもカラー印刷です。
個人的には右のシンプルなデザインの方が、教本としてはカッコいいと思います。
しかし左のほうが、なんとなくイラストが多くて読みやすい印象を受けるので、買いやすいのはこちらのような気がします。
・「将棋手ほどき」より
どちらの本にも、まずはこの本を手にとった入門者に対しての導入文がありました。
我流でやっているものは、「定石で指すと負けるよ」などと初心者に対して大口を叩くが、必ずどこかで躓くので、本筋で学んでいくことが結局は近道だと書いてあります。
そして我流で大口叩きのことを「田舎初段」と激しくdisります。
僕はこの癖のある導入文を読んで、正直心強さを感じました。
・「将棋虎の巻」より
『あれ、、全く同じことが書いてある…。』
著者が同じに違いないと思いましたが、それぞれ「日本将棋研究会」、「関東将棋倶楽部」としか書かれていませんでした…。
思いがけず、また違った問題に遭遇してしまいました…。
おまけ:「茶と美」より
最後は、昔の人の文章は癖があって面白いということを紹介したいと思います。
(発行:1941/2刷:1942)
「蒐集に就て」より
「蒐集は心理的には興味であり、生理的には性癖である。」
完全にパンチライン…。
おまけ2:経年変化はプライスレス
なんとマトリョーシカタイプのダルマを見つけました。
2つ目からは、まるで新品のようでした。
お金で買えないものは数少ないといいますが、時間もその一つですね。
おしまい。