メメント・モリ|流石に目も痒くなる[2日目]

昨日は寝不足のうえ、少し深酒をしてしまったので、本もマンガも読めずに眠ってしまいました。

そして早朝の目覚ましです…。

犬猫の世話は今月の31日までなので頑張りますが、これが定年まで続く雇われ仕事だったとしたら、僕はきっとこの人生に絶望するでしょう。

「右折」

 

 

帰宅後、商品の発送とゴミ捨てを終わらせたら、その後は家の仕事をしました。

今日は珍しく薪風呂の煙突&煙道の掃除から始めました。

 

内側の煤も多く出ましたが、煙突の外側もなんだか大分汚れてしまいました。

 

煙道の掃除は、これまでに一度だけしかやったことがありません。

そのときはそれほど汚れていなかったので、実質初めての掃除みたいなものでした。

煤のような砂っぽさはなく、べっとりとしたタールが固まったようなものがたくさん出てきました。

 

煙道の掃除口を開けると、ポタポタと木酢液が垂れてきました。

極寒の冬だと燃焼温度も上がりづらく、また風呂焚きには赤松の薪を使うので、そんなこともあってか、煙突にタールがこびりついたり、木酢液が出るのかなと思っています。

 

先日磨きすぎて雰囲気の悪くなってしまった大黒天と恵比寿を、焚口から漏れる煙で燻して煤をつけようと思ったのですが、煙突掃除をしたことが思った以上の効果を発揮し、焚口からは煙が漏れなくなっていました。

 

それではと、思い切って焚口の中に入れてみました。

 

この中には、大黒天と恵比寿が入っています。

 

伝わらないとは思いますが、掃除をしたおかげで、ひと目で分かるほどよく燃えるようになりました。

 

数十分後、焚口を覗いてみると、神様にはまったく色付いていないばかりか、小さなクラックまで入ってしまいました…。

 

焚口ほどは温度の上がらない、煙道の中に突っ込んでおくことにしました。

何日間か、このままにしておこうと思います。



建材は、小さな切れ端や傷んだものでも薪になるので無駄にはなりませんが、しかし塗装されていたり、防腐剤が染み込んでいるもの、合板などは薪ストーブで燃やすことが出来ないので、燃えるゴミとして処分するしかありません。

チェーンソーで小さく刻み、今度のゴミの日にでも捨てようと思います。

 

追加で買ってきた肥料を漉き込み、これで我が家の畑の土作りは完了しました。

少しの間寝かせたら、また種や苗を植えようと思います。

 

今日もせっせと薪割りです。

 

異常に硬い丸太が連発したので、今日は大汗を掻きました。

力いっぱい斧を振り下ろしていたので、未だに左手の握力が戻りません。

 

これが今日の成果です。

 

【中断:19:10】


【再開:21:50】

 

職場が近付いてきたときの、あのナーバスな感じを思い出しています。

詳しく書けないぶんだけ歯がゆいのですが、まあ1時間程度、犬猫などの世話をしてきました。

野良猫のために外に置いておいた山盛りのフードが、綺麗さっぱりなくなっていたことには驚きました。(※何匹いるんだ!?)

自宅で飼っている22匹の猫以外にも、3つの家で、それぞれ野良猫にもご飯を与えているのは、同情心からなのでしょうか。

世話をしに行く度に顔面(特に目)が痒くなり、鼻も通らなくなるくらいの環境というのは、人間らしい生活環境といえるのだろうかと考えてしまうことがありますが、本人がそれで良いと思っているのであれば、外野が口を出して良いことではないのだと思います。

 

帰り道、警察が交通整理をしていました。

商業施設が立ち並ぶ一角を通ることが出来ず、ぐるっと迂回しなくてはならなかったのですが、警察官がたくさん集まっているその向こうには、グシャリと潰れた車が見えました。

『死んでるかもな…。』

そう思いました。

事故を起こした人は、今日の朝、起きた瞬間に胸騒ぎがしたとか、いつもとなにかが違うと思ったりしたのでしょうか。

何事もなく、事故は唐突に訪れたのだとしたら、僕も、この文章を読んでいる貴方も、何の予感もないまま事故に巻き込まれ、明日の今頃には生きていないかもしれません。

明日死ぬかもしれないと頭では分かっていても、平素は思い出すこともありません。

いともたやすく死んでしまうかもしれないという可能性について、異常なまでに意識することは苦しいことだし、非常にリスキーなことでもあります。

せめて寝る前だとか、目を覚ました瞬間に、一日に一度くらいは、自分は歳をとるし、怪我も病気もするだろうし、突発的に死んでしまうこともあるのだということを再認識したいと思います。

そしてそのときに湧き上がってくるエネルギーを糧として、僕は生きていきたいと思いました。

 

“メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。”メメント・モリ – Wikipedia



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