憧れの「永久機関」

昨日も今日も寝起きの空は曇っていて、ソーラーパネルは大した仕事をしていませんでした。

新しくなったチャージコントローラーには液晶パネルがついていて、そこに映し出されているデジタルのインジケーターをみればおおよその電気残量が分かります。

今日は珍しくメモリが半分くらいにまで落ち込んでいました。

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[後編]オフグリッド生活|分かり易いソーラーパネルの選び方|12Vシステムと24Vシステム|バッテリーの直列化と並列化

 

携帯電話やニンテンドーDS、一眼レフのバッテリーもそうだけど、ひとメモリでも減っていればバッテリーの終わりは近く、安心して使うことが出来なくなります。

メモリがいつでも満タンでいないと不安なのは現代病だと思うし、それだけモバイルの電子機器(特にスマホ)に依存しているということなのだと分かります。

ここのところは夏日が続いたので、小屋のソーラーだけでパソコンの充電が出来ていました。当然のように僕は調子にのり、毎夜バッテリーの許す限り映画を見ていました。

昨日は真夜中に、怖いと前評判の高い映画を見始めたのですが、怖い映画はラストも気になるけど、僕の場合は怖ければ怖いほど、早いところ見終えてしまいという感情が沸いてきます。

途中何度かパソコン右下にあるバッテリーアイコンにマウスポインターをのせて電池残量を確認し、DVDの残り時間と見比べながら視聴するというのが常なのですが、たまに映画に夢中になりすぎるとこの作業を忘れ、心の準備が整っていない状態でPCがシャットアウトしてしまうことがあります。

電池残量の確認を怠ってしまうということはそれだけ映画に夢中になっているということなので、そんな場面で突然電池切れとなれば、それはストレスを貯めることになりかねません。

今日はまだ辛うじて外が明るい時間に、久しぶりに小屋のLED照明が落ちてしまいました。つまり電気をつけて直ぐに落ちてしまったのです。

こちらも絶えずインジケーターを見つめていない限りは落ちるタイミングは唐突です。突然照明が落ちてしまうというのは、場面によっては困ることもあるし、やはり気持ちのよいものではありません。

しかし去年からは少し環境が変わりました。LED照明が落ちてしまった後には、少しだけ楽しみが出来たのです。

実は去年からキャンドル作りを始めていました。最初は蝋に色を入れたり形にこだわったりして遊んでいたのですが、最近は実用重視のロングサイズ(30cmくらい)か、炎がきらめくように反射してみえるキャンドルポッド用のものを作っています。

 

ちょっと脱線しますが、以前インターネットのどこかで「永久機関」のようなキャンドルをみたことがあり、これは是非真似したいと思ったものですが、自分でキャンドルを作り、毎晩観察を続けてみれば分かりますが、これは特殊な蝋を使っているか、もしくはトリックだと思うのです。

先ずは蝋燭の芯です。これは間違いなく燃え尽きます。

そしてキャンドルは何を燃料として燃えるのかというと、それは当然「蝋」です。つまり溶けた蝋を要領よく集めることが出来たとしても、火がついている以上、蝋燭は減っていくはずです。

「永久機関」という言葉に惹かれます。

僕にとってソーラーパネルや薪ストーブ、雨水なんかも「永久機関」に準ずるようなイメージがあり、それだけに導入前は憧れていたのですが、人は便利を求め、またそれを叶えようとする傾向があります。

それを思えばイマイチ浸透しないこの生活は、どこか必ず「便利ではない」ところがあるのです。

そういえば、昨日今日とまとまった雨が降ってくれたというのに、フィルターの目詰まりで殆どタンクに雨水を落とすことが出来ませんでした。

実は雨水利用者にとって、一年の中で今が最も厄介な時期なのです。

それは「花粉」「PM2.5」「黄砂」が飛来する時期だからです。

飲水ではないのでそれほど深刻ではありませんが、困るのはやはりフィルターの目詰まりです。

詰まったフィルターを外してみると、厚さ数ミリにまで堆積した微粒子の塊が、樋の形をなぞるように黄色い円形を作り出しています。

 

この世には、「永久機関」のようなうまい話はそうそう転がっていません。

あったとしても、僕のような末端にまで辿り着くことがあるとは思えません。

つまり、雇われ期間を減らしたと思ったら、それだけ日々のコストを減らしたり、出来ることは苦労しながらでも自分でやるしかないのだと思います。

おしまい。







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