かつての同僚からのHELP?メール|自分専用の幸せ

[Diary:593]

弱ってしまったかつての同僚を助けたいと思うものの、自分が誰かを助けられると思ってしまうのは錯覚だし、傲慢でもあると思います。

僕と全く同じ性格をしていて、しかも全く同じ道を歩んできたというのなら、僕も張り切って『良い話があるよ!』と小屋暮らしを勧めたいところなのですが、同僚はそんな僕のコピーロボットのような人ではないので、(そもそも小屋暮らしなんて嫌だと思うかもしれないし、)どうしたものかと思っています。

 

事の始まりはおとといの朝に受信したメールでした。

そのメールは、前職の同僚からのものでした。

午前7時に受信していたので、きっと朝の通勤電車の中から送ったものだと思います。

お久しぶりです。

ずっとメール出来ていなかったので、メールしてみました。

その後にも少しだけ当たり障りのない文章が続いた、とてもシンプルなメールでした。

 

かつての同僚(以下Yくん)は、僕と同じ中途入社で、一年先輩ですが、年齢は同じでした。

前職は宇宙ロケットに使う素材の研究をしていたとかなんとかで、とても頭の良い人でした。

何故僕と同じ部門にいるのだろうかと不思議になるくらいの人だったのですが、人が良く、そしてとても繊細な人だったので、職場の中ではちょっと息苦しそうに見えていました。

言わずもがな僕も職場の中では常に窒息寸前だったので、当然のように僕らは仲良くなりました。

 

しばらくして僕がゲストハウスを開くと言って、まるで逃げ出すように会社を辞めるまで、Yくんはとても親身になってくれたし、ゲストハウスが開けず小屋暮らしとなってからも、しばらくはメールのやり取りをしていました。

しかし彼が社内の配置換えで全く畑違いの部門に回された辺りから、ぱったりと連絡が途絶えていました。

楽しい毎日で忙しく、メールが出来なくなったというよりは、現状がキツくてメールが出来なくなったのではないだろうかと想像していましたが、一方通行のメールは相手のプレッシャーになってしまうし、今はそういう時期なのだろうと、僕からもメールをすることはしませんでした。



話を戻しますが、昨日の夜に、Yくんに返信をしました。

 

“お久しぶりです。元気でしたか!?

こちらは相変わらずですよ。

(相変わらずというのは、)未だに電気もガスも水道も通していない小屋で、遊ぶように暮らしています。

雇われ仕事は去年で辞め、今は古道具屋さんに弟子入りし、たまに売ったり買ったりしています。

古物は面白いですよ。

空気の澄んだ田舎であれば花粉症も治まるかと思っていましたが、薬が要らなくなるというほどではありませんでしたね。

そちらはどうですか?

そろそろ○○(※元いた部門のこと)に戻りましたか?

またメールしてね!”

 

その日の夜中、僕の返したメールに対して、Yくんから返信がありました。

 

僕らは元々技術職だったのですが、配置変えでYくんが配属されたのは、「お客様センター」という畑違いの部門でした。

そこでは仕事のやりすぎで首がヘルニアになり、肝臓も悪くしてしまったそうです。

首のヘルニアで、肩から指先まで、一日中痺れていたそうなのですが、手術はせずに3年間のリハビリで、現在は少しずつ回復してきているそうです。

日本の社会と自分の経済状況では(※原文ママ)仕事を休むことも出来なかったようで、ただただがむしゃらに働いたそうです…。

そして現在は、また違う部署に配属されたそうで、また一から仕事を覚えているところだそうです。

今回配属された部署は、会社の中でも最も過酷だと噂されるところだったそうで、残念なことにその噂は本当だったと実感することになったそうです。

最後は、時間が出来たら僕の家に遊びに行きたいという言葉で、メールが締めくくられていました。

 

これまでの感じだと、僕らの会社はとんだブラック企業だと誤解されてしまいそうなので補足しますが、福利厚生やボーナスなど、殆ど公務員と変わらない水準なので、きっと一般的にはかなりのホワイト企業なのだと思います。

※本やDVDを買えば補助金が出たし、誕生日月は一日休めます。有給消化は強制だし、残業もほぼありませんでした。

 

ついでに書いておきますが、僕が退職後に通ったハローワークの担当者は、「あの会社で続かなかったのなら、もうどこへ行っても駄目だよ…。」と、僕を切り捨てました。

つまり、「一般的には、」とか、「相対的に見れば…」というような考え方は、現に仕事が辛いと嘆いている人にとっては、なんの慰めにもならないのだと思います。

どんなに周囲の人が羨ましいと思う環境だったとしても、自分がその仕事に合っていないのであれば、当人にとってはそこは針のむしろでしかないのです。

この小屋暮らしにも通じるところがあると思うのですが、どうしたら良いのか分からずに藻掻いている人は、まずは自分のことを良く知ることから始めるべきだと思います。

自分のことが分かっていなければ、自分の強みを活かしてうまくやることが出来ないばかりか、下手をすれば苦手な分野で不利な状況のまま、理解の出来ない苦しみに耐え続けるしかなくなります。

例えば僕が小屋に電気を引かなかったことだって、ある人には非効率極まりないこととしか映らないのかもしれません。

どんなに便利なものにだって、少なからず一長一短があります。

同じ様に、どんなに高待遇の職場だったとしても、企業勤めに向かない人にとっては地獄なのです。

 

僕はこのようなことをYくんに言いたいのだけれど、中途で入社した時の苦労も分かっているし、会社を辞めた後のことを想像すると、「Yくんにはあの会社は合っていないから、もう辞めたほうがいいよ。」などと、軽々しく口にすることは出来ないのです。

僕自身は、会社を辞めた後も何とか生きていますが、それはいくつもあった選択肢を奇跡的に全て正解出来たからだと思っているし、もう一度同じようにやったからといって、またうまくいくとは思っていません。

Yくんは僕よりも能力が高かったから、今でも会社に残って頑張ることが出来ているのだとすれば、もしかしたらもうひと頑張りしたら昇進でもして、辛かった日々を笑い飛ばせるようになるのかもしれません。

そうなればきっと小屋暮らしをしている僕にメールを送ろうとも思わなくなるのだと思います。

心配なのは、まさかとは思いますが、Yくんが会社に殺されてしまわないだろうかということです。

もし死んでしまうようなことがあれば、きっと僕に届いたメールは、「HELPメール」だったということになります。

 

僕の小屋に来たいという人に対しては、ゲストに貸せるトイレが無いからと断ってきたのですが、Yくんの今後によっては、ゲストにも貸せるトイレ作りに着工することになるのかもしれません。

小屋が人命を救うとしたら、それは少し美談ですね…。

 

おしまい。




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