極細針に満ちた大気を歩いて思ったこと[おまけ]

ある多湿だった日の夜中、庭を歩くとそこはまるで水中でした。

雨降りでもないのに目の前だけは極細の針のようなものがびっしりと風の流れに沿って漂っています。

これはなんだと驚きましたが何のことはなく、霧がヘッドライトに照らされたことで視認出来ただけのことでした。

ヘッドライトがなければこれだけの極細針に気がつくことなく歩いた筈です。

この極細針も、Wi-FiやBluetooth、携帯の電波、電磁波、他にも紫外線やら埃やらと同様に、気にしてしまうと日常生活に支障が出る類のものでしょう。

無性に気になってしまったとしても、医者から「電磁波過敏症」とか「神経症」を疑われるのも面倒だし腑に落ちないだろうから、やはり自分の心のなかにだけ留めておくことが無難でしょう。

なんにせよ、人は五感で捕らえ辛いものに対しては無防備です。

正しいとか正しくないとかはいえませんが、頭では分かっていても一々真摯に向き合っても埒の明かないものからは目を背けることが処世術といえます。そうでないと人は疎外されます。

まあ、窮地に陥ったときは小屋暮らしなどの逃げ道もあると思ってこれらに向き合ってみるのも悪くはないのかもしれませんが…。

車で少し走るだけでも、あちこちに淡紫色の「藤/フジ」が垂れ下がっているのが見られます。

民家の軒先で行儀よく垂れている藤棚よりも、大木に絡んだ野生の藤がカッコいいと思うので、いつか受け入れ準備が整い次第、イキの良い藤をスカウトしてきて適当な木に這わせたいと想像しました。

ただ、藤に絡まれた植物はそのうちに弱るので、日よけのパーゴラでも作って、それに這わせた方が良いだろうと思ったのですが、あれ、これって民家の軒先にある藤棚となにが違うのだろうかとパニックに陥りかけました。

野生の景色をそのまま庭に持ち込み、人間の通る道だけがあるような生活に憧れますが、森に飲み込まれた家というのは、想像するだけなら素晴らしいでしょうが、実際に住んでみると大変なことが多いと思います。

先ずソーラー発電は絶望的だし、雨水だって木の葉が邪魔してたまりません。風が吹けば倒木を心配して眠ることが出来ず、常に毒のある虫や蛇、野生動物に怯えて暮らすことになるでしょう。湿気やシロアリなどの弊害を考えれば、小屋の寿命だって著しく短くなるでしょう。やっぱり大変です。

そう思うと、中途半端な僕の小屋環境(前半分だけが赤松林)は、まだ心配の種は数あれど、ある意味ではいいとこ取りが狙える可能性を秘めているといえるのかもしれません。

これからやりたいことが山積みですが、人間の寿命は短いので、安易に更地にするのではなく、よくよく考えた上で工事を進めなくてはなりません。

そんなことを考えていましたが、今日は風呂に入ったり、少しだけ薪割りをしたり、壊れてしまったウチワを修理したり、近所を散歩したりして一日の大半を終えてしまいました。

ただ、こんな日も悪くないと思います。

・・

書くことを忘れるところでした。

昨日の「スティルトン」による奇妙な夢の話ですが、結論からいうと特別に奇妙だと思えるような夢は見られませんでした。

見た夢は、「野生のタヌキが何者かに線路に繋がれ死んでしまい、白黒になっているのを眺めている」というものでした。

 

こんな夢は奇妙でもなんでもありません。このようなことは日常的に行われていることだからです。

詳しく観察してみると、世の中は不気味なことに満ちています。

真摯に向き合うと私生活に支障が出るので、程々にしなくてはなりませんね。

 

おしまい。

【購入者:アメリカ人✕1】

 

[おまけ:極細針に満ちた大気]







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