祈りとか信仰とか開放のようなもの|煙突のタールを剥がしたい

実は先日、遂に風呂小屋のコンクリートブロックを積み重ねるという段階が終わりました。

(化粧はまだですが、)これは薪風呂が完成したことも意味しています。

時間は掛かったのですが、やったことは単純作業の繰り返しだったので、ブログにまとめるとすると1回か2回程度のボリュームしかないと思っています。

降り積もった雪をかき、ブログ記事にするために改めて使ったコンクリートブロックの数を数えたり、特筆すべきところの形状を手元のノートに書き写したりしていたのですが、震える指を見てふと疑問が湧きました。

 

デジタル描画だろうが手書きだろうが、僕が薪風呂の作り方をまとめているこの作業、瞬間には、一体どれだけの価値があるというのだろうか?

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