大晦日、元旦くらいは仕事をせずにゆっくりしたいと思いますが、実際にそうして良いのは、備えのある人だけです。
ちょうど飲水がなかったので、車に乗って湧き水を汲みに行きました。
ぼーっとしていて、水タンクの一部を小屋の入り口の丸太の上に置き忘れてしまいました。
こんな失敗はこれまでに一度だってなかったのですが、なんとなくですが、これを新年の一発目にやってしまうよりは、大晦日のうちにやっておいて良かったような気がします。
げん担ぎのようなものですが…。
from Tiny House Periodicals – 30代で早期退職した小屋暮らしの日記(仮)
大晦日、元旦くらいは仕事をせずにゆっくりしたいと思いますが、実際にそうして良いのは、備えのある人だけです。
ちょうど飲水がなかったので、車に乗って湧き水を汲みに行きました。
ぼーっとしていて、水タンクの一部を小屋の入り口の丸太の上に置き忘れてしまいました。
こんな失敗はこれまでに一度だってなかったのですが、なんとなくですが、これを新年の一発目にやってしまうよりは、大晦日のうちにやっておいて良かったような気がします。
げん担ぎのようなものですが…。
もうだいぶ前から部屋の掃除をしたいと思ってはいたのですが、どうせ年の暮れに大掃除をするのだからと先延ばしにして来ました。
今日はその大掃除の日になりました。
掃除をしながらも、面倒くさがって放置していた宛名用紙をカッターとハサミで切り分けたり、片付けがてら断捨離を決行したり、敷物のホコリを落として外に干したり、、というようなことを今日はしていました。
孟子の性善説、荀子の性悪説とがありますが、どちらにしても人間には善と悪の両面が内在しています。
その時の気分や、後々の影響を考え、身の振り方を決めているのだと思いますが、もし仮に自分にだけ、全ての人間を屈服させてしまうような強大な力が手に入ったとしたら、人はどのようになってしまうのでしょうか?
例えばスーパーカーを手に入れたとしたら、意気揚々と夜のハイウェイを走りたくなるだろうし、仮に若くして富と名声を手に入れたとすれば、臆することなく同窓会にだって出席出来たはずです。
今日で仕事納めだったという人が多いのではないかと思いますが、僕がよく行くところだと、仕事納めだったのは郵便局だけでした。
ホームセンターもスーパーも、こんな田舎だというのによく働くなと思います。
バリエーションに富んだインスタントコーヒーの詰め合わせを貰ったので、毎朝ひと種類ずつ飲んでいます。
今のところ左3つを飲み終わったのですが、特に「ホテル&レストランブレンド」が美味しかったです。
この豆が欲しい時は、「ホテル&レストランブレンド」下さいと言えば通じるのでしょうか…?
苦労せず朝型生活を手に入れている人がいるというのに、僕にはそれが至難の業の様に感じます。
単発的に早起きをしても、次の日にはまた夜型になってしまうことが常である僕とでは、一体何が違うのだろうかと不思議に思います。
睡眠時間は概ね6時間~7時間なので、逆算をしてみると、僕は夜更かしが止められないということが分かります。
翌日に早起きしなくてはならない予定がない限りは、うとうととしてくるまで寝ようとは思えないという傾向にあるのですが、眠気が来ていないというのに目をつぶって寝ようとすることは、なんだか不健康な気がします。
実際のところは分かりませんが…。
お歳暮ではありませんが、年の暮れになるとお餅やあんこなどをいただくことがあります。
毎回は出来ませんが、たまにはお返しでもしておこうと思い、9月に瓶詰めした渋皮煮や、無農薬の柚子を贈ることにしたのですが、これだけではいまいちかなと思い直しました。
この地でしか手に入らないものはなんだろうと考え、今日は北杜市の地酒を買いに行くことにしました。
出来るだけ部屋をシンプルにしておきたいと思うのは、きっと煩雑な部屋の中にいると頭の中まで忙しくなっていくような気がするからだと思います。
意識しなくても、視野に入るものが多ければそれだけ脳を使うということなのかもしれません。
因果なもので、それでも人間というものは、使うことはないけれど、飾っておきたいという欲があり、そんなものにもお金を使います。
昨晩の雨と強風により庭に出してあるものが飛んだり落ちたり倒れたりして大変でした。
夜中に薪風呂建設地の養生をやり直したり、飛ばされたタープを拾いに行ったりと、こんな時は「大変だな…」と思います。
新しい小屋や風呂トイレ小屋を建て終えるまでは我慢しますが、庭に出してある大型の工具や建材などは、思い切って処分したくなります。
日帰りで東京へ行ってきた日の夜は、いつもより2時間も早くに眠ってしまいました。
うまく出来たもので、次の日はいつもより2時間も早くに目が覚めました。
早朝(9時くらい)の清々しい空気、日差しは心地よく、「よし!野鳥に餌をあげよう」という優しい気持ちが湧き上がってきました。
昨日は、来年早々に取り壊しが決定しているあるお宅まで、何か貰えそうなものがないか下見に行ってきました。
そのお宅は東京にあるので、早起きをして下道を使ったとしてもガソリン代はかかるし、実際に窓ガラスなどを何枚も貰ってくるとしたら、その時はトラックのような車をレンタルしなくてはなりません。
それらにかかる費用のこともしっかりと計算に入れたうえで見てきたのですが、結果的には、来年になったら大きな車をレンタルして再度東京のそのお宅まで行ってくることに決めました。
昨日から始めた内職は、結局最後まで終えることは出来なかったのですが、納品は今日の夕方に決まりました。
最後まで終わらなくとも、宝石をなくしたり宛名を貼り間違えたりという致命的なミスをすることもなく、自分の中では指示通りにこなすことが出来たと思っています。
しかし僕には、納品に行く前に必ずやっておかなくてはならないことがありました。
僕には驚くほど関係がないのですが、世間はクリスマス、仕事納め、大晦日、正月と、師走モードに入っているようです。
近所の別荘に住むジュエリーデザイナーは、「Merry Christmas and Happy New Year 2018」というメッセージカードと共に、高価なジュエリーを同封し、これを数百人の顧客に贈ることを予定していました。
しかしその準備が未だ手付かずだったのです。
自分が書いた文章を読んでもらい、直接ないし間接的に何かしらのリアクションを得るという一連の流れに没頭(依存?)していました。
書きたくて堪らないという時期を経て、最近は自分の書きたいことを書くことが出来ているだろうかと振り返ったり、人の目を過度に気にし過ぎ、当たり障りのないツマラナイ文章ばかりを書いてはいないだろうかと心配をしたりしていました。
それでも書くことを辞めたいと思ったことはなく、それは書くことを辞めてしまったら空洞の自分を直視せざるを得ないと恐怖していたからです。
何者でもない人間にとっては、こんなブログでもアイデンティティを喪失しない為には必要なものだったのです。
先日書いた花柄の石について、新たな情報をいただきました。(ありがとうございます。)
花柄の石が2つになったので、お便りを下さった方に片方をお譲りしたのですが、その方がこの石についての有力な情報を探し当ててくれました。
まずは「甲州鬼瓦」と検索するようです。
これは僕だけに限ったことではないと思いますが、例えば海外に旅立ち、そこで知り合った仲間たちと毎夜、、どころか数ヶ月くらい一緒に寝起きを共にすることがあれば、どんなに気が合おうが、次第にキツくなってきます。
キツくなってきた時に思うことは、『一人になりたい…』です。
一人旅というものは、基本的には自分本位の生活を送ることが出来ます。
アメリカのサイバーマンデーの影響か、クリスマスのプレゼント用なのか、アメリカで展開しているwebショップが盛況で、特に土日を挟んだ月曜日の朝はインターネットに繋ぐと、何件もの注文が入っています。
それらの梱包だけでも小一時間は掛かるのですが、梱包が終わって宛名を書くために再度インターネットに繋ぐと、また数件売れているという具合で、こんなに売れるならもっと価格を釣り上げておけばよかったと思っています。
今日は師走らしく細々と良く働きました。
以前は暇を持て余すこともありましたが、移住後は生活に直結した、“やらなくてはならない仕事”が増えたので、暇だと思うことは極端に減りました。
暇を持て余すくらいなら仕事のある日の方が良かったのかといえばそんなことはなく、基本嫌々出社していたし、家でゴロゴロしていたいと夢見ていました。
しかし不思議なもので、仕事を辞めて家でゴロゴロしてみてもさほど幸福感は得られず、すぐに飽きてしまいました。
いよいよ地面は凍結してしまい、靴底からも硬さが伝わって来ます。
氷と化した地表と接しないようにブロックの上に重ねた砂袋もやはりカチカチで、今日はモルタルを作る段階から苦労してしまいました。
今日も先週の金曜日と同じ一日をなぞるのだろうと書くのは簡単だけど、実際にはいつかと同じ一日なんて起こりようがない。
ずば抜けた記憶力があれば一々違いに気が付くから尚更だし、一般的な記憶力しかない自分にとっても、先週の金曜日も先々週の金曜日と同じくらい何をやっていたのか思い出すことは出来ないのだから、そんなあやふやな対象と今日を比べること自体に無理があるのだ。
ヤマト運輸からの電話で目を覚まし、眠れなくなったので本を読み出したのが良くなかったようで、その後はお昼までぐっすり眠ってしまいました。
起きてから直ぐに着替え、数分後には外仕事に取り掛かりました。
今日の寒さは恐らく今冬一だと思います。
外に転がしてあった砂袋が全てカチカチに凍っていたし、二重履きの靴下の上から長靴を履いているというのに、次第に指先の感覚が無くなっていきました。