雨が降り過ぎると思うこと|無頼に憧れた少年時代

みぞれ混じりの雨が降り続き、、と書き始めたところで、さてこの表現は正しいのだろうかと不安になったので、検索窓に「みぞれ」と入力してみました。

“みぞれ
【霙】
1.
雪が空中でとけて、半ば雨のようになって降るもの。
2.
かき氷に蜜(みつ)をかけたもの。”

※[みぞれ混じりの雨]というのは、[食塩水混じりの水]というようなものですね。

 

『あっぶねー…』

心のなかで呟きました。

 

若い頃は、勉強が出来ないことをさもカッコいいことのようにひけらかす者がいましたが、年齢を重ねると、もう同じようなことは出来なくなります。

僕の少年時代は、無頼な男に憧れた時期でもありました。

両親や学校の教師、習い事の先生、塾講師に家庭教師など、矢継ぎ早にインプットされていく日々は、これについていけている間はいいのですが、何処かで躓いてしまうと、それ以降は只々ストレスとなってしまいます。

この時代に生きていた大人たちは、将来日本が不景気になり、就職先がなくなってしまうことなど夢にも思わなかったに違いありません。

 

インプットに躓いた者の逃げ道の先には、決まって無頼な男が輝きを放ち、立っているものです。

無頼な男というものは、世の中の“こうあるべき”に従うことなく、不名誉なレッテルをはられても意に介すことなくひょうひょうと生きているように見えるので、自分も同じような生き方がしたいと思わされてしまいます。

しかしながら身体能力が高くセンスもある、同性にも異性にもよくモテる無頼な男でいられる期間はひどく短く儚いものです。

ふとそれに気がついてしまった時から、勉学から逃げ出したことへの後悔は始まり、そして馬鹿であることを隠したくなるのかもしれません。




話は戻りますが、今日は一日みぞれか雨が降っていました。

荷物の発送に行った後はずっと家で椅子に座り、次回作の小屋のデザインを考えたり、アルコールストーブの改善を図ったりしていました。

 

雨が降ると雨水タンクが潤うので、基本的には嬉しいのですが、雨水タンクが満たされた瞬間から、疎ましくもなってきます。

また、貴重な雨水をみすみす捨てているような気分に陥るので、『あぁ、もっと大きな雨水タンクが欲しいな…』と思わされます。

雨水タンクというものは、大雑把に言ってしまえばただのプラスチック容器です。

水を漏らすことなく、その重量に耐えることが出来ればいい訳で、それだったらもっと安価なものがないかと考えたりもするのですが、なかなか良いアイディアが沸きません。

 

雨の中、我が家の雨水タンク(500L)の様子を伺いにいくと、案の定満水で、ダラダラとインプットの穴から雨水が溢れ出していました。

雨水タンクが空になると、用水路か湧き水スポットまで水を汲みにいかなくてはならず、これは流石に面倒くさいです。

このことを思うと、溢れ出る水を為す術もなく見ているというのは、僕の中の“面倒くさい指数”を上げる行為ともいえるのです。

 

大雨の中、僕はタンク後方に開けた[オーバーフロー管]から、20Lのポリタンクを使って風呂桶まで何往復もしました。

オーバーフロー管から水が出なくなると小屋に戻り、また暫くしたら雨水タンクに戻り、ポリタンクで水を運ぶという健気な行為を繰り返しました。

 

現在我が家の風呂桶は、雨水で満たされています。

そして500Lの雨水タンクからは、やっぱりダラダラと水が滴っています。

 

風呂桶を雨水で一杯に出来た段階である程度満足したので、溢れている雨水を見ても、『もういいや…』と見過ごせるようになりました。

 

[おまけ]

今日一日を、キラキラ写真でお届けします…。

アルコールストーブ

オーバーフロー栓とポリタンクを繋いでいるところ

ポリタンクを一輪車に乗せ、風呂桶まで運んでいるところ

満たされた風呂桶

 




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