Our nation|小屋暮らしの365

2017年1月29日に始めたときは、『そこまで読み手を意識しない、気楽な日記みたいなもの』を書く予定でしたが、さてどうだったでしょうか?

日記-1日目|犬の服と安物の服

『読み手を意識しない』ではなく、「”それほど”読み手を意識しない」と書いたことからも分かるように、本気で読み手を意識しない文章を書くことは現実的ではなく、仮にそんなものをインターネット上に公開したとすれば、きっと僕は今の生活を続けることが難しくなるような気がします。





似非なのか本物なのか分かりませんが、インターネットの世界では自警団のような人たちがいるので、面白いからとインターネットの世界でも閉ざされた空間(例えば海外のドミトリーや誰かの部屋、お酒の席などの、不特定多数が介在しない場所)で話すようなことを書いてしまっては、法に触れることはなくとも、人格を否定されたり、勤め先に嫌がらせをされたりすることがあります。

それが嫌だったら、自主規制をしていくしかありません。

 

 

一年間日記を書いてみて、改めてそんなことを感じました。

僕は小屋暮らしを4年間続けましたが、最低でも1年間経験すれば、当然ですが、小屋暮らしの春夏秋冬を味わうことが出来ます。

この日記も、そんな小屋暮らしの春夏秋冬に触れて書いたものなので、ある意味最低限のことは書けたのだと思います。

これからはもう少し更新頻度を減らして、メインブログであるタイニーハウスピリオディカルズの記事をもっと書いていこうと思っています。

是非そちらもまた、よろしくお願いします。

 

 

もう大昔の話になりますが、その頃(10年以上前)のインターネットは今よりもずっとアンダーグラウンドなものだったような気がします。

例えば、Peer to Peerというインターネットの技術があります。

詳しい人だと、NapsterやWinMX、Winny、Shareなどの、悪名高きファイル共有のことを関連して思い出すと思います。

しかしこれらの技術、サービス自体に違法性はなく、これらを使って違法なことをする人々がいたというだけなのです。

僕はこの、Peer to Peerの技術を使った、ライブストリーミングの世界に夢中になったことがあります。

これは、一般人が自宅などに構築したサーバーを使って、特定の人間だけが繋がることの出来る、いわばインターネット上の仮想国家のようなものを作り出すことが可能だったのです。

事実僕も昔は、インターネット上で知り合った気の合う人々と、毎夜のように繋がり、その時興味のあった音楽や映画、マンガやファッションなどの話で盛り上がっていました。

しかしそんな世界も長くは続きませんでした。

その気になれば、音楽や映画を垂れ流すことも、もっといえばそのデータファイルそのものをシェアすることだって出来てしまったので、その世界のことが有名になるにつれ通報数も増え、遂には逮捕者が出始めたのです。

違法なものは駄目だと切り捨てることは簡単ですが、しかし法は出来た瞬間から古くなっていきます。

現に今の時代は、様々な場所で音楽や映画やマンガや書籍などが無料で楽しめるようになって来ました。

これは勿論、製作者側にタダ働きを強いるものではなく、ビジネスモデルが変化してきたということなのだと思います。

本当に良いものは、社会を変える力があるのだと思います。

 

 

受験勉強を頑張って良い学校に入り、安定した企業に務めることが幸せな人生の黄金コースだった時代は、少しずつですが確実に変わってきていると思います。

お金を稼ぐ方法が多様化してきたこともあるだろうし、そもそも安定企業の存在が危ぶまれてきたという背景もあると思います。

昨今のインターネットの普及により、個人の生活にも深く根を張るサービスも出てきました。

 

自宅にいながら仕事や買い物などが出来てしまう時代になったし、人工知能の開発も盛んだし、どうやら社会は個人主義の時代に進んでいるような気がします。

気の合う仲間たちと同等の関係を結び、楽しく暮らしていけたら良いのですが、どうしたって人が集まれば軋轢が生まれるし、声の大きな人に流されたり従ったりしなくてはならない場面も出てきます。

また、社会が大きくなれば、弱い立場や出来ない人に合わせたルール作りが基本になるので、個性豊かな子供たちの特性を伸ばすには少し息苦しいと思うこともあるような気がします。

 

誰にでも出来るような単純作業などは早々にロボットに任せてしまい、人間がやらなくてはならない仕事はどんどんとなくなっていけば良いと思います。

時間を得た人間は、お金になるかどうかを考えることなく、自分の良いと思った物を追求できたり、自分の良いと思えるものは一体なんなのだろうかと、それを探し求めることが許されるような社会になっていけば、価値観は多様化し、皆が皆、お金を求めて争うことも減っていくような気がします。

きっと僕の望む世界は、僕が生きている間には実現しませんが、それでも自分が感じ取った道を信じて進んでいきたいと思います。

きっとそれが僕の幸せなのだと思います。



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