我が家には黒猫が2匹いますが、顔も身体つきもかなり違うので、そうそう間違えることはありません。
しかし初めて見た人には、どっちが「クロ」か「ミシェル」か分からないようです。
僕からすれば、毛の色以外全部違うと思っているので少し不思議な気持ちになります。
親猫の「クロ」です。
寝てばかりの末っ子「ミシェル」です。
写真では少しわかりにくいとは思いますが、身体の大きさも足の長さも尻尾も全てが異なっています。
今日はこの二匹をみていて、とある旅のエピソードを思い出しました。
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それはインドで列車に揺られていた時のことでした。
※ちょっとうろ覚えなのですが、確かカルカッタ(コルカタ)へ向かう列車の中だったと思います。
ボックス席に偶然乗り合わせた乗客の中でインド人は一人しかおらず、その他には日本人である僕とパキスタン人、ネパール人、バングラデシュ人と、みな国籍の違う男たちだったのです。
僕もこれは珍しいことだと感じていたのですが、よく喋るインド人のオジさんは、それぞれ国籍が違ったことが分かり非常に上機嫌になったのです。
パキスタン人のオジさんは、振られた質問には答えるけど、基本的には寡黙な感じでした。
ネパール人の青年は朗らかな笑顔を浮かべていたので安心感があります。
バングラデシュ人のオジさんは、パキスタン人のオジさんに輪をかけて寡黙、、というか、あまり喋りたくなかったのか極力最低限の言葉しか発さないような人でした。
僕らのこの空間では、基本的には喋り続けるインド人の受け答えをするといった感じだったのですが、僕にとっては取り立てて不都合なことでもなかったので、いつも通り目的地までの数時間をそつなくこなすつもりでいました。
しかしこの列車でこれから起きるエピソードは、何年も経った今でもふとしたことが切っ掛けで思い出すような、忘れることが出来ない思い出になったのでした。
自己紹介も終わり、他愛もない話をしていたあるタイミングで、インド人のオジさんが僕に言いました。
「日本人も中国人も韓国人もみんな同じ顔をしているから見分けがつかないよ。」
僕には服装や雰囲気、なんといっても言葉が違うので、日本人と中国人と韓国人の違いが分かりますが、まぁ確かにインド人には見分けが難しいのかもしれないなと思いました。
しかしそれはこっちも同じだと思ったので、僕も言いました。
「インド人もパキスタン人もネパール人もバングラデシュ人も一緒じゃないか。」
僕は非常に軽い気持ちで言ったことだったのですが、驚いたことにそのインド人のオジさんは、非常に大きな声で「NO!!」と言ったかと思うと、みるみる不機嫌になり、終いにはそっぽを向いてしまったのです。
助けを求めようと他の国の男たちを見回したのですが、みんな“やれやれ”というような表情を浮かべ、特別何かを言ってくれることはありませんでした。
以前、ゲストハウスのレセプションで、日本人が韓国人と間違われたようで、烈火の如く怒っている場面に遭遇したことがありました。
これは同族嫌悪なのかそれとも何か違う理由があったのかは分かりませんが、きっとインド人のオジさんにもこの日本人と同じような、許せない何かがあったのだと思います。
人種も宗教もややこしいことがありますが、しかし同じ国民の中でも非常にたくさんの区別、差別があるので、その数だけ禁句や問題が存在しているのだと思います。
例えば人種差別のような問題に直面した時に、これは間違えているからと“正そうとする人”もいれば、面倒だからと“関わらない様にする人”も出てきます。
はたまた波風の立たないように“あえて多数派に流される人”も多いと思います。
さて僕はどんな人間に近いのだろうかと考えるのですが、恐らく“関わらない様にする人”が一番近いと思います。
しかし“関わらない様にする人”になるのもそう簡単ではなく、例えばど田舎の森の中に引っ込み、小屋でも建てて暮らすくらいのことをしなくてはならない場合もあるかもしれないのです…。
インド人:“関わらない様にする人”も波風の立たないように“あえて多数派に流される人”
も同一ですね。インド人の不機嫌の理由は、「本人のみ知る」でしょう。黒猫の区別も難しい。
黒猫の区別は、普段からよく観察している者にとっては容易いのですけどね。
“関わらない様にする人”も波風の立たないように“あえて多数派に流される人”
も同一ですね。インド人の不機嫌の理由は、「本人のみ知る」でしょう。
結果だけをみれば確かに同一のように見えるのかもしれませんね。