僕が菜食主義になった切っ掛けの町→続きは[口琴と猫]で

先日書いた日記に、[引きこもる環境|動物肉を食べないという”縛りプレイ”]というものがあります。

この日記に対して、僕が動物肉を食べなくなった切っ掛けについて教えて欲しいというリクエストをいただきましたので、書いてみようと思います。





バックパッカーの旅で初めて訪れた国が[インド]でした。

インドのレストランでメニューを開くと、決まって[VEG][NON-VEG]という項目に分かれていました。

世界には菜食主義の人がいるということは、頭の中では分かっていましたが、実際にその文化に触れたのは、この時が初めてだったと言っても過言ではありませんでした。

この時の僕がベジタリアンに対して持っていたイメージは、本当は肉を食べたいのに、宗教の厳しい教えを守るために無理をしているというものでした。

また、肉を食べなければ健康を損なうばかりか、長生きも出来ないと思い込んでいました。

何故なら日本では、肉を食べることが当たり前だったし、力をつけるには肉は欠かせないものという刷り込みがあったからです。

 

インドを旅する中で、現地のインド人だけではなく、多くの外国人旅行者とも触れる機会に恵まれました。菜食主義は、そんな異国の人びとの中では比較的ポピュラーな文化であること、少数派ですが、日本人の旅行者の中にも菜食主義者がいたので、徐々にですが、菜食主義は日本人にも浸透しつつあるように感じていました。

 

そんな彼らからは、ベジタリアン、菜食主義の良さを教わることがあったので、そんな中でも意見の多かったものをまとめてみます。

 

・疲れにくくなった(ダルさがなくなった)

・痩せた(肥満が解消された)

・肌荒れがなくなった

・体臭が軽減した(排泄物の臭いも)

・集中力が増した

・生き物に優しくなった

 

菜食主義を実践している人たちからの回答なので当然かもしれませんが、聞こえてくるものはどれも[利点]ばかりでした。

 

菜食主義は良いこと尽くめじゃないかと思うと同時に、『本当なのだろうか…?』といった疑念も生まれました。

そこで僕は、菜食主義の実践が容易な国[インド]にいるのだから、実際に試してみようと思うようになりました。

まさに我が身を使った[人体実験]です。

 

また、これは僕の主観なのですが、その時僕に菜食主義について話してくれた旅の先輩たちは、とても輝いていました。

端的にいえば、彼らのようなカッコイイ旅人になりたいと、僕は俗っぽい考えに取り憑かれたのでした。

 

[リシケシュという町の存在を教わる]

インドは、どこへ行っても菜食のメニューを選ぶことが出来ますが、ことリシケシュの町では、メニューの全てが菜食で、逆に肉料理は食べたくても食べることが出来ません。

ヒマラヤの麓に位置し、ガンジス川に沿って展開するリシケシュという町は、何でも修行僧が多く集まるインドの聖地で、かつてはビートルズもこの地に訪れ、ヨガや瞑想(メディテーション)の修行したというのです。

 

ベジタリアン、ヨガ、メディテーション、ガンジス川、ヒマラヤ、聖地という強烈なコピーに加え、ビートルズ(最近ではスティーブ・ジョブズ)まで追加されたのですから、インドで自由なバックパッカー旅をしている僕としては、行ってみたいと憧れるだけの十分な理由になりました。

 

実際に僕は、2004の春に初めて訪れたことを皮切りに、翌年2005年の冬、そして2010年の春と、合計3回、[リシケシュ]に訪れ、ヨガやメディテーション、菜食文化に触れることになります。

僕はインドでベジタリアン文化に感化され、そしてリシケシュに訪れたことで、ベジタリアンという生き方を続けてみうようという気持ちを更に深めたのです。

 

厳密にいえば、僕が菜食主義を貫いていたのは、日本で就職をするまでの3年間だけで、その後は、動物肉こそ食べませんが、魚だけは食べるというようにポリシーの変更をしています。

まとめると、完全に菜食主義を貫いたのは3年間だけです。

しかし、動物肉を断ってからということであれば、もう9年程が経過しており、それは現在も継続中です。

 

[菜食主義を実践してみて]

始めたばかりの頃は、期待とプラシーボ効果があったのか、確かに身体のダルさが軽減したような気がしたし、体臭も減ったように感じました。

言われてみれば集中力も増したような気がしたし、動物にも優しくなったような気がします。

しかし、そのどれも劇的な変化というものではありませんでした。

 

また、3年間菜食を貫いた後、魚を食べるようになりましたが、これによる変化を感じることは出来ませんでした。

端的に言ってしまうと、僕は動物肉を完全に断った生活を9年間ほど続けていますが、変化らしい変化を感じることは出来ていません。

健康診断も体力測定にしても、健康そのものだったし、筋力にしても特に変化はありませんでした。

動物に関心が持てるようになったのは、きっと猫を飼い始めたのが切っ掛けだし、全力疾走をしたら倒れそうになるのは、これはきっと加齢のせいだと思います…。

 

ふと思ったのですが、もしかしたらこれは、動物肉を食べる理由は、“美味しい”ということ以外にないのかもしれないということが言えるのかもしれません。

今後僕がいつまで動物肉を食べないというポリシーを貫いていくのかは未定ですが、例えば焼き鳥屋さんの前を通れば美味しそうな香りだなとは思いますが、どうしても食べたくなるということはないし、油が滴るようなステーキや焼肉などを想像すると気持ち悪くなるので、暫くはこのままのスタイルで行くような気がしています。

 

[最後に]

[リシケシュ]へのアクセスや、町の写真などを[口琴と猫]の記事として更新しましたので、興味が沸いた方は是非御覧になってください。

[インド]リシケシュ/Rishikesh|ビートルズも修行に訪れたヨガと瞑想と菜食の町|口琴と猫



“僕が菜食主義になった切っ掛けの町→続きは[口琴と猫]で” への2件の返信

  1. 菜食の切っ掛けは、インド旅行で菜食主義者向けのメニューなど菜食文化に触れたり、菜食主義者との接触があったことだということですね。

    菜食が及ぼすメリットがいくつか在るのに対して、特に健康上のデメリットは無さそうですね。
    貴重な体験報告です。

    数年程度の当座のメリットだけでなく老年期への影響とか寿命がどうなるかという長期の報告が蓄積されたら面白いと思いますが長年に亘る統計学的スタディーはほぼ不可能でしょうね。

    不毛な議論を避けるために敢えて書かなかっただけで、インド旅行の前から、動物の命を奪って食料にすることへの抵抗感みたいなものをお持ちだったのではないかという勝手な想像もしています。
    それに関して、いつになるか分かりませんが将来、好みの味の人工肉を製造することが可能になると思います。コスト的に有利なら人工肉が主流になり、動物を殺して食用にする事は無くなるのだろうと思っています。

    1. 確かに自分のコピーでも作らない限り正確なデータを得るのは難しいのかもしれませんね。

      僕も以前から人工肉については興味がありました。
      市場価格を下げるには、それこそ全員が動物の命を奪って食べることについて疑問や嫌悪感、または家畜飼育のデメリットを学ばなくては難しいのかもしれませんね。

      この手の話題は、免疫のない人は責められているように感じてしまうことが多く、確かに煩わしい議論に発展することが多いイメージがあります。

      現在の嫌煙ブームのような急激な変化が起こり得るのか、未来が楽しみです。

間欠小屋暮らし翁 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA