毎日明日こそは晴れるだろうと思い続けましたが、ここ数日はずっと曇り空でした。
今日などは昼の時間に一切電気を使わなかったというのに、1時間もしないうちに夜間のLED照明が使えなくなってしまいました。
僕が初めて触れたソーラーパネルは、少年時代に見た懐中電灯でした。
今でこそ珍しくはなくなりましたが、僕が見たその懐中電灯の背中には、小さなソーラーパネルがついていたのです。
太陽光を浴びると発電すると説明されてもピンとこず、そんなうまい話があるものだろうかと訝しんで見ていましたが、その場にいた先輩は前向きで、「懐中電灯の光を背中のソーラーパネルに向けたらどうなるんだろう?」と言いました。
太陽光で作った電気でライトを点灯させ、そのライトの明かりでまた発電が出来たとしたら、これは永久機関みたいなものです。
先輩のトリッキーな発想に一旦は笑ってしまったのですが、心のなかでは、『実際どうなるんだろう…?』と疑問に思いました。
結局、その場で一瞬疑問に思っただけで、ソーラーパネルへの関心はそこでストップしました。家に帰れば幾らでも電気が使える環境だったので仕方のないことだったと思います。
あれから倍以上の年月が経ちましたが、未だ永久機関とか、フリーエネルギーといったものは身近にはありません。
最近は連日薪ストーブが焚ける季節になったことを喜んでいたのですが、今度は電気に困るようになってしまいました。
電気はなくとも暖だけはとろうと、今日は薪割りを頑張りました。
こんな感じの薪の山を4つ作りました。
人間の骨のように、中心部は硬質化していてカチカチです。
そのため緑色の苔も年輪に沿って、まだ柔らかい部分にだけ生えるようです。
芸術的な丸太だと思って写真を撮りましたが、よく見ると山にしてあるヒノキの下の方には、こんな苔の生えた丸太が他にも沢山ありました。
まだ芯が残っているうちに残りの薪割りを頑張りたいと思います。
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食後にブログを書いたりインターネットが使いたいという気持ちと、昨日でお菓子を食べきってしまったというトラブルが重なってしまったので、薪割りの後は隣県のスーパーまで、機器の充電を兼ねたドライブに出掛けました。
買うものは普段と大して変わりませんでしたが、夕暮れの山をみながらのドライブは良いものでした。
僕は「偏光サングラス」という、目に有害な光(ブルーライトなど)を遮断してくれるサングラスを持っています。
これは車の運転時に、極稀にかけることがありますが、家の近くになったら必ず外します。
なぜなら、見た目が西部劇っぽくて恥ずかしいからです。
目には頗る良いので手放せないのですが、まだ人前で堂々とかける気持ちにはなれません。
今日は車で充電できたので良かったのですが、これからの季節は、電気不足が理由でブログの更新が滞るかもしれません。
去年までは図書館に入り浸りだったので良かったのですが、最近は家の仕事が忙しいので、図書館に行くペースも週に一回程度です。
電気のない時はないなりの生活を受け入れ、その中で楽しみを見出していくことを目下の目標にしたいと考えています。