原初の「笑い」

あまりに忙しいと、その忙しさが一段落した時に何故かニヤけてしまうことがあります。

どこで読んだのかどうしても思い出すことが出来なかったので、これは眉唾として読んでもらいたいのですが、元来「笑う」という行為は、もっと切迫した状況下で行われるものだったようです。

 

人類がまだ猿に近かった時代。

野山に集団で暮らしていた祖先は、度々外敵から襲われることがありました。

命からがら逃げ切った時に、仲間と顔を突き合わせ、「もう危険は去った」「安心していいぞ」と顔をほころばせたというのが、「笑う」の始まりだったというのです。

人は面白いと思った時に笑いますが、それ以外にも、微笑ましかったり愛想で笑ったりということもあります。

更には、強烈な恐怖体験をした時にも笑ってしまうことがあるといいます。

あまりに怖くて笑ってしまったという話は、これまでにも何度か聞いたことがあったし、実際僕自身でも、そのような経験をしたことがあります。

 

それはお金を貯めようと頑張って働いていた時代の話です。

夜勤明けで更に残業のあった日、僕は酷い睡魔に襲われていました。

フラフラとしながらも帰りの電車に乗り込みました。すると唐突に、「なにガンつけてんだよ!」と、お相撲さんとか悪役レスラーみたいなガタイの大きな人が人混みをかき分け、僕の前まで来てそう言ったのです。

「いやー、夜勤明けで眠ってないんですよ、、勘弁してくださいよー」

こんな感じでのらりくらりとやり過ごそうとしましたが、その後も「高田馬場」から「池袋」までの間、僕はしつこく絡まれ続けました。

かぶっていた帽子は叩かれて遠くに飛んでいってしまったし、相手の男は話が通じないくらい酔っ払っていたし、朝の通勤ラッシュ時だというのに、僕らの回りだけモーゼが杖を持った手を上げて割れた海のように、奇跡的な空間が出来ていました。

電車が池袋に到着し、やっと男が降りていったので、僕はようやく恐怖から開放されました。

ほっと一安心し、空いた座席に腰を下ろしたその時です。

殆ど無意識のうちに、僕は吹き出してしまうくらい笑っていました。

 

今にして思えば、この瞬間の「笑い」は、遠い祖先が外敵から逃げ切った時に見せたという、あの原初の「笑い」と同じものである可能性があると思います。

もしかしたら「笑う」という行為には、緊張を解くという効果があるのかもしれません。

 

インドにはラフターヨガといって、延々と「笑う」というヨガがあります。

とても人前でやりたいとは思えないヨガですが、それでも散々馬鹿笑いをするのだから、強力なリラックス効果があると思います。

 

思っていた以上に、「笑い」には深い意味があるような気がしてきましたが、出来れば面白おかしかったり、微笑ましかったりした時などに、もっと素直に笑いたいものです。

8月ももう後半です。

明日は休みで明後日からまた仕事なのですが、1日の休みをはさみつつ、残りは2-3-4と働けば、夏のアルバイトは終了します。

シーズンの始まった最初の頃は、8月の最終日まで慎重にやろうと心掛けるのですが、やはり後半になってくると疲れが溜まってくるのか、仕事に対するモチベーションが低下したり、ちょっとしたことで嫌な気持ちになったりすることが増えてきました。

これが蓄積した疲れによるものではなく、単純に老化による体力の低下によるものだとしたら怖いなと思っています。

いつまでもアルバイトなんてしていたくはないので、まだ目に見えて体力がなくなっていない今のうちに、出来るだけ沢山の種を蒔いておかなくてはならないのかもしれません…。







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