人間が働かなくても食べていける世の中

昨日はいつもより2時間30遅く起き、夕方には2時間も寝てしまったので、眠る前の読書が捗りました。

僕の読書方法は、ベッドに横になった姿でヘッドライトの明かりを頼りに読み進めるという感じです。

念のために交換用の電池も枕元に置いてあるので、長時間の読書にも耐えることが出来ます。

僕のヘッドライトの光は、中心部分が特に明るくなっているので、その部分が白飛びしてしまうし、本からの反射はいかにも目に悪そうです。

2灯タイプのヘッドライトならもう少し本が読みやすいと思うのですが、まぁ今のままでも読めないことはないし、そもそも壊れてもいないものを買い換えられるほど、僕の財政状況は良くありません。

昔の人はロウソクや油、松ヤニなどを使って読書をしたであろうことを考えると、乾電池とLEDから成る光は、なんとも便利なものだなと思います。

色々と思うところがあって、今日は一日元気が出ませんでした。

それでも雇われて仕事をしているので、無理にでも笑顔を作って働かなくてはなりません。

世の中には便利なものが沢山溢れていますが、それでも未だに「仕事=辛いもの」という図式が成り立つ瞬間が多いように思うので、そんな時は辛い瞬間を肩代わりしてくれる存在の発明を期待します。

なんとなくその位置には、心を持たないロボットが収まるような気がしますが、子供の頃に想像していた21世紀と現実の差を考えると、そう容易くはないのでしょう。

人が辛いと感じる仕事の大部分をロボットが肩代わりするような未来が訪れるとしても、その過渡期に産まれた僕は、そのまま過渡期のうちに死んでいくのだと思います。

辛い仕事は全てロボット任せの未来や、ベーシックインカムが導入された社会でもいいのですが、どちらにせよ、殆どの人が雇われ仕事をしなくても生きていける社会なんて死ぬまで訪れないと思って生きていくほうが健全です。

ノストラダムスの大予言を信じて貯金を使い果たしてしまうようなことにならぬよう、現実を直視し、地に足をつけ、僕は真摯に向き合っていこうと思っています。

なんだか今日は頭の中が面倒くさい感じがするので、気分を変えたいと思います。

今日も職場で見つけたキノコの写真と、大量の紫蘇を貰った話をします。

 

これは3日前には頃合いだと思っていたキノコです。

長雨だったとはいえ、今は見る影もありません…。

3日前のキノコは→鉄雄の成れの果てのような姿のキノコ

 

特大のキノコを発見しました。

写真でそのスケールを伝えるために、真ん中にメガネを置いてみたので参考にして下さい。

これはとんでもない大きさのキノコだと思います。

もし食用キノコだったら、ボリューム的にはこれだけで夕食になるかもしれません。

ただ、食べきる為には複数の調味料を駆使しなくては、直ぐに飽きてしまうような気がします。

 

去年、掃除のおばあさんからもらった紫蘇でジュースやゆかりを作りました。

それが美味しかったとそのおばあさんに伝えたところ、今年も大量の紫蘇を貰いました。

全部使い切るどころか、これを洗うだけでも重労働でした。

でも赤紫蘇と砂糖とクエン酸で作るジュースは美味しいし力が湧いてくる気がします。

ジュースに使った後の紫蘇で作るゆかりだって、白いご飯にかけて食べればそれだけでもご飯がすすみます。

最近は雨が続いているのでとても湿気ています。

紫蘇を貰ってきたまま何もせず放置をしたら、直ぐに駄目にしてしまいそうなので、去年の美味しかった思い出を力に代えて、これから紫蘇の下ごしらえを頑張ろうと思います。







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