今日こそは早くに寝ようと思っているのにそれがどうしても出来ないのだから、これは前世で何かしらの悪事を働いたとしか思えません。
前世、来世という概念を持ち出すと、ヒンドゥー教の「カルマ」を思い出します。
「カルマ」とは、「行為」「業」「宿命」「因果応報」みたいなものだと解釈されますが、カルマは現世だけに留まらず、来世にも影響します。
つまり現世が如何に苦しくとも、ヤケになって悪さをしてはいけないのです。もし悪さをすれば、現世、もしくは来世で、必ずその行為が自分に跳ね返ってくるからです。
にわか知識でダラダラと書きましたが、今日も僕は寝不足で、午前中はあまり仕事に身が入りませんでした。
「カルマ」のような教えを信じる気にはなれませんが、仮にそうだとしたら、きっと僕の前世は、人一倍よく眠ったのだと思います。
今日の昼休憩は、タイミング良くまだ掃除をしていない居室が空いていたので、その部屋で昼ごはんを作って食べることが出来ました。
久しぶりにエアコンの効いた部屋だったので、内鍵をして、僕は思う存分だらけました。ソファーやベッドで横になっても良かったのですが、休憩時間を越えて眠ってしまいそうだったので止めました。
室内に使い放題の水道や電気が来ていること、トイレもシャワーもエアコンも冷蔵庫も電子レンジもキッチンも付いているこの部屋を眺めていると、やっぱり便利だな、、と思います。
良いな、とは思いましたが、これだけの環境を維持するために掛かる多大な労力を思えば、僕はここまでの贅沢はいいかな、と思ってしまいます。
仮に今後僕が稼げるようになればそれに比例して生活水準も上がっていくのだと思いますが、それでもいまの生活が苦しいかといえばそんなことはなく、不幸どころか、僕の人生の中でも今がトップレベルで幸せだと思っています。
満足してしまいそうになるくらい今の生活を楽しめているのは、やっぱり過去の経験があったからだと思います。
苦しい経験を思い出し、それに比べれば目の前の苦労なんて何てことないと思えたり、初めてやる仕事でも、これまでにやってきた仕事と何かしら似ているところがあるもので、なんとなく上手くやれたりすることがあるのです。
こんなことを書いていると、まるで冒頭の「カルマ」につながっていくようですが、しかし来世があるというところはどうしても信じることが出来ません。
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今日は野外にあるシャワーボックスのお湯が出なくなり、入っていたお客さんに迷惑を掛けてしまいました。
みんなで故障原因を探りましたが見つからず、半ば諦めかけていたところ、水の元栓が閉まっていたことを偶然発見しました。
大変喜ばれ、オーナーの奥さんに褒美としてメロンソーダを買ってもらいました。
僕の家の周りは年配者ばかりが住んでいます。
オーナー夫婦だって、僕よりはずっと年上です。
移住してから僕は子供扱いされることが多くなったような気がします。
まぁ、楽ではあります。