フィトンチッドで自分探し

実験と実用を兼ねて七輪的なものを作ろうと、大昔の土壁を水で戻したものに石灰を混ぜたり、更に少量のセメントを混ぜてみたりしていました。

調合を工夫している姿は職人みたいだし、土を捏ねる姿は陶芸家っぽくて、なんだか気恥ずかしかったです。

 

必要なものが土で作れるとなれば、費用面ではこれに勝る素材はないと思います。

ですが未だにそれほどメジャーではないので、それには何か原因があるはずです。

例えば土を捏ねる作業だけで僕はもうお腹いっぱいになりました。

 

そんな作業中、ポツポツと雨が降ってきました。

作業場は木立の中に作ってありますが、それでも雨が降れば濡れてしまいます。

雨が降れば太陽の力も弱まるので、温めようと太陽光にかざしていたポリタンクの水温は下がる一方です。

まだ13時を過ぎたころでしたが作業をやめ、さっさと水シャワーを浴びてしまおうと思いました。

あまりに冷たすぎる水シャワーは困りますが、頭からかぶった時に少し鳥肌が立つくらいの冷たさが好きです。

季節に左右される水シャワーのほうが贅沢だと思わされる瞬間があるのだからわからないものです。

 

 

午後は小屋で何かの設計図を書くか漫画を読むか、、本当は昼寝がしたいと思っていましたが、しかしこれを許してしまうと生活のリズムが崩れてしまいそうだからと我慢をしました。

移住しようが小屋で暮らそうが、僕の保守的な性格はそう簡単には変わらないようです。

広葉樹ではなく赤松やヒノキ、杉などの針葉樹林の方にこそ
「フィトンチッド効果」
はあるそうです。

そして、なんとなく分かるような気がすると思って庭の針葉樹林を眺めていたら、ふとある言葉が沸いて来ました。

「一人も大勢も、お金持ちも貧乏人も大差ない」というものでしたが、確かにそうかもしれないけど、人前でこういうことをいうのは恥ずかしいので胸にしまっておこうと思いました。

「バックパッカーになった理由は?」という質問には、「自分探し」という答えは一つのセットであり、これも少し恥ずかしいのですが、若者はこれに共感したり反発したりするものだと思っています。

「自分探し」というものは、普段の生活では起こりそうもない場面を自ら引き起こすことで、自分の認識していなかった一面やリアクションを発見していくものだと思っていましたが、自分のルーツや自然のことを考えることでもあるのかもしれないと思いました。

 

おしまい。

植物が傷つけられた際に放出し、殺菌力を持つ揮発性物質のことを指す。 森林浴はこれに接して健康を維持する方法だが、健康だけでなく癒しや安らぎを与える効果もある。 フィトンチッドはその殺菌性や森林の香りの成分であるということから良いイメージがあり、森林浴の効能を紹介する際に良く用いられている。
フィトンチッド - Wikipedia






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