18.愛の詩

煙突掃除をして薪割りをして、もうこれで今年は越冬出来たと思ってしまうほど、今日は暖かかった。

もしトラブルに見舞われたら…なんてことを考えて備えることも大切だけど、今はこの綱渡りのような日々でさえ、僕にとっては救われた日々なのだと感じているから、だからこれ以上贅沢を言ったらきっと僕はバチが当たって死んでしまうだろう。

この暮らしを見た人がどう思ったところで、僕は確かに救われたと感じているのだから、この生活のことを悪く言うつもりはないし、もし誰かに悪く言われたら反論したくなるくらいにはかけがえのないものになっていると思う。

だってこの生活は、あの時これを選択出来ずに後悔を残して死んでしまった僕のアナザーストーリーといえるくらい非現実的な世界だと思っているから。

自暴自棄になって投げた玉が、物理的に入る訳ないだろうと思われた針の穴を通ってしまったような、ボールを投げた本人が呆気にとられている絵を想像してみるとしっくりくると思う。

春の兆しを感じさせる陽光の中で薪割りをしている最中に、今日はこんなことを妄想していた。

楽しかった。

春の兆しを外仕事の最中だけでなく、ソーラー発電の調子からも感じ取ることが出来て、こんなところだってとても面白いと思う。

本来は面白いと感じることはやっぱり誰かと共有したいと思うし、共に笑いたいと思う。

正直にいうとこんな気持ちで日々を過ごしているのだけど、人にはそれぞれ事情があるし、子供の頃のような友情を築くことはもう出来ないくらいに大人になってしまったし、女の子のことだって今は女性と呼び方は変わり、どうしても異性として意識してしまう存在になってしまった。

これは全くもって正常なことだとは思うけど、最後の一人になるまで僕は女子よりも男友達との友情を優先したいと言っていたい。

あれ、なんでこんなことを書いているのだろうか?

やっぱりこれも春の兆しを感じたから?

まさか昨日のバレンタインデーに躓いてしまっているのか?

なんとも俗っぽいとは思うけど、これまでは誕生日もクリスマスも正月に対しても、もう何年間も冷めた態度を取り続けていたことを思うと、大分心は穏やかになったのだと思う。

ただ、弛緩しきった日々は長く続けるとうんざりしてくるし、非常につまらない人間になると思っているので、こんなところで沈没していたくはないというか、僕に残された時間をリアルに計算すると、焦らずにはいられないというのが妥当だと思う。

薪割りをやり過ぎると、一年目の時みたいに肘を傷めてしまうかもしれないので、これは意識して根を詰め過ぎないようにしなくてはならない。

早めに薪割りを止めて時間があまったら、図書館へ行ってやれることを進めることも出来る。

全ての時間を自分のために使えるということは、あの日袂を分かったライバルとの差を非現実的なスピードで縮めていけるということなのかもしれない。

・図書館

・煙突掃除

・購入者:アメリカ人✕1

・LED照明点灯時間:11時間




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA