深海というほどではないけれど、水面近くを泳いでいる人との距離からすると、いま僕はかなりの深さにいることがわかります。
「水面に顔を出すまで息が続くだろうか、もうこんなに苦しいというのに。」
そんな場面で夢から目が覚めたのは早朝の5時でした。
花粉症で鼻が通らず本当に苦しいです。
どうやら今は「ヒノキ」の花粉が多く飛んでいるそうです。
枕元に置いてある点鼻薬を使って鼻は通るようになりましたが、貴重な睡眠が阻害されたことだけでも嫌なのに、僕は一度目が覚めると寝付くまでに時間が掛かる質なので、夜中(朝方)に目が覚めてしまった時点でもう不安になってしまうのです。
不安な状態では眠ることが出来ません。これを悪循環に陥るというのだと思います。
「鶏が先か、卵が先か」
と同様に、僕がこのスパイラルに陥ったのは一体いつ頃で、何が切っ掛けだったのでしょうか?
思い出せません。
よく眠れるようになる催眠術でもあれば掛けて貰いたいくらいです。
催眠術も、いやなスパイラルに陥っている人を救い出すといった用途にだけ使われるなら良いのですが、催眠術が使えるとなれば、人間誰しもちょっと面白そうな実験がしたくなるし、これがエスカレートしていけば羽目を外す人だって出てくるでしょう。
例えばもやしが大好きになり、これ以外の食品を食べたいとは思えなくなるという催眠術を掛けたとしたらどうでしょう?
催眠術に掛かっている人は、もやしが最高に美味しく感じているのです。そしてもやしは健康食なので、きっと身体にも良いことでしょう。
ただ、本当にもやしだけを食べていたら栄養が偏るかもしれません。だったら、仮にもやしが完全食だとしたらどうでしょう?
この催眠術を掛けた人を罰し、催眠術に掛かっている人の思い込みを解くことは正義なのでしょうか?
僕には分かりません。
催眠術がまやかしだとしても、死ぬまで幸せな気持ちでいられるならば、僕は催眠術に掛かっていたいです。
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今日は職場にBちゃんが訪ねてきました。
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どうやら本業の仕事があまり入ってこないようで、今年もここで仕事を手伝えないだろうかとお願いに来たのです。
まるで他人事のように思っていましたが、きっと世間的に見れば、小屋で暮らしている僕のほうがよっぽど貧困層に見えると思います。
ちなみに、本気で貧しい人のことを「赤貧」といいますが、「赤」には、「全く何もない」という意味があるようです。
全く何もないほど貧しい人…。
確かに赤色に点滅している人をみたら、何だかピンチっぽいですよね。
貧乏とか赤貧のことを書きましたが、やっぱり僕はそれほど貧乏ではないと思います。間違いなく赤貧ではありません。
その根拠は風呂場の体重計にあります。
実は今日、シャワー上がりに久々に体重計に乗りました。
「64.3kg」でした…。
僕の人生の中でも、この体重はかなり肥えている方です。
前職の頃がそうだったのですが、僕が自分で思っているベスト体重は「60kg」です。
これより体重が増えると身体が「重く」感じられます。
「重く」感じるようになると、身体を動かすこと自体が「億劫」になります。
僕は身体を使う仕事をしているので尚更ですが、身体を動かすことが億劫になると、さぼったり横着したくなるような気がします。
これは良くないので、この夏の間にまた、体重を「60kg」に戻したいと思っています。
ただ、そう思ってはいるのですが、具体的に食事制限をするとか、ジョギングを始めるということは考えていません。
そんなことをしなくても、夏の間外仕事をしていれば自然とベスト体重に近付いていくと思っているのです。
8月31日、夏休み最終日になったらまた体重を測ってみようと思います。
その時もまだこのブログをやっていて、体重を測り忘れなければ報告したいと思います。
本当は毎日のように体重の変動を記録したいところですが、面白いのはきっと僕だけなので止めておきます。
おしまい。
【購入者:ノルウェー人✕7】