働いた日は放蕩

勤め人だった頃の週末は、目を覚ましたら直ぐに枕元のiPod touchを手に取り、Amazonと、勤めていた会社と提携しているインターネットのお店(ここで買うと会社から補助を受けられた)とを見比べ、どちらで買うのが得だろうかと悩むことから始まりました。

辛い日々を慰めようと、ただただお金を使いたかったのです。

こんなに辛い日々を耐えているのだから、その苦労を目に見える形にしたかったのだと思います。一見馬鹿らしい行為ですが、他によいストレス発散方法が見つからなかったのです。

不幸な時代だったと思いますが、そんなことを言ったら家主に家賃を払ったり、住宅ローンを返済する行為はどうなのでしょうか?

そもそも僕らは何のために働くのでしょうか?

本当にそこまでの生活レベルを維持しなくてはならないのでしょうか?

その生活レベルは自分で考え、自分で選んだものでしょうか?

 

スミマセン、、過去の自分のことを思い出してしまい、ついその頃の自分に向けて書いてしまいました。

日曜日の今日、目を覚まして最初にやったことは、枕元にあるニンテンドーDSでした。佳境に入っているゲームを30分くらい進めました。眠くて仕方なかったのですが、寝る前にも15分くらいは進めています。

そろそろラスボスが近そうなのですが、ここへ来てクリアしてしまうことが何だか淋しいと思うようになってきました。最近のゲームは、「強くてニューゲーム」といって、ある程度クリアした時の状況を引き継いで2周目をやり直すことが出来ますが、僕は2周目をやるくらいなら新しいゲームがやりたいと思ってしまいます。

次にやれそうなゲームが見つからなければ、また長い間ゲームから離れることになると思うので、何だか淋しい感じがしているのだと思います。まだクリアはしていませんが、恐らく僕が頭を捻りながら育てているゲームのキャラは、相当に強いです。なのでラスボスは案外呆気なく倒してしまうのではないかと思っています。

さて、今日は古材の釘抜きを頑張りました。

雇われ仕事以外で、今の僕がお金を稼ぐ一番現実的な方法は、もしかして「木工」かもしれないと閃き、先ずは材を掻き集めています。

今の時代はインターネットを使って誰でも直ぐに好きな商売が出来るようになりました。

こんなところは本当に有り難いです。

身の程をわきまえ商売をすれば、失敗しても殆どノーダメージというやりかたは多くあると思います。それであればどんどんと挑戦すればいいだけなのかもしれません。

 

今日はとても前向きに頑張ったので、日が暮れてからは自分にご褒美的な感覚で遠くのスーパーまでドライブし、一銭も儲かっていないというのにアイスやプリンやお菓子などを買って、まるでパーティーみたいになってしまいました。

これからまたアルバイトの日々が始まるかもしれないと考えると、ますます夜更かしをしたくなってきます。こんな田舎にまで引っ込んで来て、なかなかの低支出な生活を続けているというのに、そんな生活すら自分でカバー出来ないのだとしたら、僕の商才は小学生以下なのかもしれません。

ちょっとの頑張りで越えられるハードルの高さを設定しているつもりなので、先ずはこのハードルを越えることから頑張ろうと思います。

 

・食材:2744円
・日用雑貨:1250円

【購入者:アメリカ人✕1】